たけしの華麗なる消費生活

消費したモノ・コトについて、書いています。

僕は、「会話」について、全く理解していなかった

はじめに

衝撃的なタイトルですが、このエントリーは書評です。元々、電通でコピーライターをしていた、田中泰延さんによる「会って、話すこと。」という本を読んでみての書評。

この本は、控え目に言っても、超絶素晴らしい本で、直近の数年以上を振り返っても、これほど良かった本はなかったように思う。よくわからないけど、大人全部のうちの半分くらいの人は読んでも良いのではないだろうか。それくらい良い本と感じました。

そんな衝撃を受けてみて、タイトルのような感覚をもったのですよね。僕は、「会話」について、全く理解していなかった、と。40年以上、毎日毎日たくさん話をしているのに。でも、本当に、この本を読めてよかったと思います。

ちなみに、田中さんは、こちらの本も書いてます。この本はこの本で良いのですが、書くことよりも話すことの方が、シーンも頻度も多く、人の毎日の生活に大きく影響を及ぼすことなので、衝撃は大きかったです。

僕に刺さった(多くの人に刺さるかもしれない)ポイント

いっぱいありました(汗。間引きしようと思ったのですが、なかなか間引きできなかったので、少し多いですが、触れていきたいと思います。

わたしの話を聞いてもらわなければならない。
あなたの話を聞かなければならない。
この2つの考えをを捨てたら楽になる。

多くの人は、相手の話を聞かずに自分の話をするし、自分も相手の話を聞かずに自分の話をすることが多い。要は、相手に興味を持っていない。そのことに向き合った方が良いよね、ということ。

どうでもいい人と、どうでもいい話はしない。大切な人と、どうでもいい話をする

二人が向かい合って話すと相手か自分のことが話題になってしまい、それにより、苦痛や喧嘩に発展したりする。そうではなくで、相手にも自分にもあまり関係のないこと、自分ちょっと知っていることを話すだけで良い。

振り返ると大切な人とは、そんなどうでもいい話が9割以上なのだ。議論でもなく、たわいもないことを話し、「共感」することに心地よい時空間があるのではないか、と。

論点、論点という人は、仕事では良いかもしれないが、日常生活では不要なことなのだなぁ、と思った次第。その会話は、問題を解決するかもしれないが、生活に彩りを与えることはないのだなぁ、と。

日常生活の面白さは、仮説に仮説を重ねること

ボケとツッコミの話が出てくるのだけど、日常生活はボケだけで良い、と。ツッコミは、何かの正解を提供したり、ボケを止める作用が働くのだけど、その必要はなくて、ただボケ(仮説)を重ねることが面白い会話になる。

ツッコミは所謂検証作業なのですが、検証をすると、面白い発想が止まってしまうことはままある。例えば、飲み会が面白いのは、ノリがあるので、検証となるツッコミはそこまでなく、ボケを重ねまくったりするから面白いのかも、と思いました。

あなたは、あなたが発した言葉でできている。実は、あなたの人間関係も、財産も、幸福度も、言葉が変換されたもの。他人の発言にどう返したかが、今のあなた

はっ、とさせられる内容。このアングルで言葉を捉えたことがなかった。言葉の力は、よくも悪くも大きくて、上記では、特に、人間関係や幸福度に大きく作用しているなぁ、と過去を振り返って思う。

日常会話でも、SNSでも大事なのは、「今、これを言うべきか、言わざるべきか」に関して、4秒間考えることだ。

なぜ4秒間か?は適当らしいが、言うか言わざるべきか、もっと言えば、言うと何が起きるか?を想像することは大事だと思う。その数秒で考えることで、相手を傷つけたり、自分にネガティブな印象を持たれる回数を減らすことができると思う。

無駄に聞こえることや、本題と関係なさそうな細部にこそ、会話の神は宿る

論理的に話すとかではなく、一見関係がないことによって、相手の居心地がよくなったり、自分への印象がよくなったりして、相手の心が開いたり、相手が前向きになったり、だからこそ、相手の発する内容がよくなり、良い会話に至れる、ということ。

会議の最初にラポールと言って、たわいもない会話をするケースがあるが、ここに書かれていることに通じると思う。人は生き物であり、心も脳も、その先の会話も、化学反応が起き続けているということなのだろう。

人間は会話すると必ず傷つく

ふとした会話で、自分が気にしている容姿について言われると傷つくし、自信をもっていたアウトプットの一部を注意をされたら心が乱れるだろう。些細なことで人は傷つくし、心は乱れるもの。

そして、本には書いてあるのだけど、自分が大切にしている人との会話の回数も量も多いから、大切な人をたくさん傷つけている、ということ。小さな影響に敏感になって、できるだけ、傷つけない言葉、会話をできるようになりたい。

あなた自身が機嫌よくしていれば、あなたにとっての世界は機嫌が良い

これも、当たり前のことを書いていそうで、そんな風に思えて、行動している人は少ない。機嫌は、人の数ほどあり、人によって異なる形をしていて、自分次第で、機嫌をよくすることはできる、ということ。

不機嫌な人は、不機嫌な言葉を発することで、さらに不機嫌になっていく、という文もあった。不機嫌な言葉を使っている人や組織からは離れるべきだ、とも。そんな風に、自分の機嫌を良くするような、言葉選びや人選び、場所選びをするべきだな、と。

おかしな人のおかしさは「距離の取り方」のおかしさ

人間関係の悩みのほとんどは、距離感を間違えることから生まれる、と。他の本に、淡交という言葉を使ったケースがあったが、距離を縮めすぎると、いざこざが増えるので、一定の距離に保つことが大事。

僕は、色々な失敗をしてきたからか、最近これはできているかもしれない。親しくない友人との距離感と、親しい友人との距離感は当然違うのだけど、親しい友人との距離感をどこまで縮めて良いか?は実は難しくて、失敗しないとわからないかもしれない。

話すことは、相手を問い詰めることでも、自分を押し付けることでもない。それは、「わたし」と「あなた」が別々に生まれてきて、別の個体として、なぜか、今、同じ時間と空間にいる意味を問い直す行為ではないだろうか

ちょっと難しくて理解しきれていないですが、理解できるものではなく、問いたり、探すことなのかもしれないな、と思ったりしました。

おわりに

少し長くなりました。

はじめに、でも書きましたが、いや、このエントリーのタイトルでもあるのですが、僕は、「会話」について、全く理解していなかったなぁ、と本当に思いました。この本を読んでよかった。

上記に、色々と引用して、色々と書きましたが、全然伝えられていない感が満載です。ぜひ、読んでみて、日々の会話を見直す機会にされてはいかがでしょうか。一つ一つの会話が、そして一日一日が変わる機会にもなるかもしれません。

何かのお役に立ちますと、うれしいです!どうぞ宜しくお願い致します。