たけしの華麗なる消費生活

消費したモノ・コトについて、書いています。

だって、人間だもの。

相田みつをなわけですが、別に文学的な話をしたいわけでもなく、哲学的な話をしたいわけでもないわけです。

少し前ですが、かなり優秀なヤツと飲んでいて、かなり優秀なくせに、あんまりうまくいかないもんだなぁ、所詮人間だから、仕方ない、みたいな話をしていたのを覚えていたりします。とある戦略コンサルティングファームで、プロモーションのトラックレコードを持っているようなヤツが、です。

このセリフを聞いて、こんなに優秀なヤツが、こんなセリフを言うのか、とちょっと衝撃を受けました。

そして、考えるわけです。少し考えると、あるべき/ありたい姿が素晴らしすぎて、仮に現実が一定素晴らしくても、あるべき/ありたい姿が素晴らしすぎるので、届かない。その差分が、所詮人間だから、と感じることになるのかな、と。

そして、最近思うのですが、頭の中で考える、あるべき/ありたい姿、というのは、あくまで、論理力や想像力でできあがるわけですが、そのあるべき/ありたい姿を実現するのは、決して自分の頭の中だけでは形にならず、そして自分だけでも形にならず、誰か他の人と協働することで実現できるわけですが、その誰か他の人たちを動かすことがとても難しいのかな、と最近思います。

自分は神様で思い通りに人を操れるわけでもなく、他の誰かは、自分と同じように、頭も身体もあり、人生があり、意思があるわけで、その誰かを、自分の思い通りに動かすことなどできない。でも、自分が実現したい何かがあるとき、その誰かも実現したい何かに変えることで、一緒に実現しないといけない。

そこには、ビジョニングのような大きな概念もあれば、自分が発する一言一言に相手はどう感じどう動くかも考えた上での最適なコミュニケーションであるという概念などもあると思いますが、どちらにしても、自分が実現したいことを本当に実現するのは難しいな。自分も相手も人間だものな、と最近思ったりするわけです。

なんだか、最近そんなことを考えて、言葉の使い方をもっともっとうまくなりたいな、と思ったりするのでした。