たけしの華麗なる消費生活

消費したモノ・コトについて、書いています。

課題を"チャンス"と捉え、画期的な解決を図り"続ける" (とあるメーカーの企画屋さん)

今年の業務が終わったので、早速2013年を振り返ってみたのですが、色々とやってきたけど、自分が思い描く理想の自分の10%くらいの出来だな、というのが率直なトコロ。

そのように所感として思ったのですが、そもそも理想の自分とは?と、まず振り返り作業を掘り下げてみたのですが、そう考えてみたとき、一人のビジネスパーソン、とあるメーカーの企画屋さんが思い出された。

 

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ファクトと実体験ベースでのとあるメーカーの企画屋さんに関する明文化

彼とは、1年半近く一緒に働かせて頂いたのだけど、一緒に働かせて頂いたことが本当に運が良かったし、幸せだったな、と思わされる。そんな彼は、どんな人だったのか?まず、ファクトベースで書いてみると、こんな感じ。

  • 学生の頃は、東大理系で、他方で、オーケストラの指揮者もしつつ、そのまた他方で、イベントのオーガナイズもリード
  • メーカーの花形である設計部署でキャリアを積んでいくのだが、とある時期に、トップマネジメントの肝いりプロジェクトに抜擢
  • その後は、先進的な商品の企画に携わり、マスコミに取り上げられる商品を次々にローンチ
  • 僕が会ったときには、HQの技術企画と経営企画を兼務し、先進的な事業企画のプロジェクトをリード

ファクトベースで書くと、まあ超エリートだよね、て感じなんだけど、僕が、1年半近くの間、平日のほとんどを一緒に過ごしてみて、近くから見て、話をしてきた実体験ベースでは、大きく三つ。

  • 二つの相反する能力を併せ持つ
  • 全ての相手を動かす卓越したコミュニケーション
  • 完全主義であり、超人的な考動量

ここの部分は、少し具体的に明文化してみようかな、と。

 

二つの相反する能力を併せ持つ

技術もマーケティングもわかる。しかも、各領域の広さも深さも半端ない。技術でいえば、商品企画における技術の競合優位性であり、難易度、その困難さを如何に超えるか/超えたか、をサルにでもわかるレベルで解説し、個別技術領域におけるエキスパートをリードする。他方で、マーケティングでも、所謂市場分析から商品企画までの落とし込みに留まらず、広報対応もリードするし、宣伝・プロモーションに至っては、自分でコンテまで作りだすレベル。広告代理店のツートップは電話でいつでも来てもらえる。

全体像で語れるだけでなく、数多有る各論について、超具体的に語れることができる。サマライズされた全体と各論をピンポイントで、というレベルではないっていう。業務範囲が相当広いのに。そんな全体像と各論について、適切なタイミングで使い分け、ストーリーであり、議論を組み立てることができるので、受け手には、すっと腑に落ちていく。

現実と理想を行ったり来たりのバランス。社会における課題に対する洞察と、こんな社会になったらいいなの想像力からくる理想、ビジネス的に言えば、ビジョニングが壮大で魅力的。他方で、そのビジョンを実現するための現実について、冷静で多面的な分析がなされる。理想と現実をブリッジするアプローチの幅広さは先述の通り。

真面目な話もできれば、ゆるい話もできるバランス感覚。昼ご飯を一緒にしているときは、先のような仕事の話もすれば、技術論文等の学問的な話も随分したのだけど、他方で、テレビであったり家族とか、ゆるい話もあたたかい話もできて、話の引き出しのバラエティは相当多い。

と、色々とあるのだけど、左脳的に右脳的にも、学習能力が優れているので、話していると、こちらが提供している知識であり、ノウハウをどんどん吸収していく様がみてとれて、自頭の良さってのを肌にびんびん感じる。

そんな能力をフル活用しながら、新しい社会を想像し、多面的で画期的なアプローチで創造を図ろうとする様を間近で見て感じてみて、この人は、日本のスティーブ・ジョブズだ、と刮目したものだった。

 

全ての相手を動かす卓越したコミュニケーション

コミュニケーションの能力とは、自分が考えたことを相手に伝え、十分な相手の理解を獲得し、場合によっては、適切なフィードバックも頂いて、こちらが考えたことを強化しつつ、最終的には、相手の了解を得て、所望な形で、相手を動かすこと、と一旦定義してみたとき、彼のコミュニケーションの能力というのは、卓越していた。

そのプロジェクトでは、トップマネジメントの承認を得ないと前に進めない局面が幾つもあったわけだが、その際のストーリーメイクであり、資料のリッチさは、一緒に取組んでいて、とても勉強になった。

簡単に言うと、コミュニケーションの相手の状況について、事実をおさえ、さらに、相手の立場になって可能な限り想像した上で、クリアすべき点をあぶり出し、ストーリーであり、資料に落とし込んでいく。

その作業を、社長、各機能領域を統括する副社長陣すべてについて、施していく。つまり、社長、財務、営業、生産、調達、管理、といった観点について、トップの立場になって、考え尽くしていく。

結果的に、何次元もの観点が資料に盛り込まれていることになって、ここまでくると、コンサルティングにおける2次元化された汎用的なフレームワークは陳腐にしか思えないレベルになっていて、何次元ものフレームワークを創ることになっている。

勿論、一言一句にこだわるし、プレゼン自体も、論理的であり感性的な要素が巧みにバランシングされてなされるので、ほとんどの場合で、相手を口説き落とすことができる。

 

完全主義であり、超人的な考動量

コミュニケーションだろうが、商品・事業企画であろうが、一つひとつを品質高く取組み、それを積み重ねないと、最上の結果を得られないことを知っていて、言ってみれば、完全主義。神は細部に宿る、宿らせる術を知り尽くしている。

80点や90点をとるための労力と100点をとるための労力を考えたとき、20点や10点という結果のデルタに対して、労力のデルタは格段に大きいわけだが、その労力に惜しむことは全くない。その労力は、思考も行動もどちらについても。

そんな彼だから、彼がいないと決まらない会議が多い。仮に、彼がいないで会議をしても、後でひっくり返る案件が多発する。圧倒的な存在感が、確実にあるわけ。

多忙な中で、多忙を極める時期が幾つかあったが、全然寝ていなかった(汗。そもそも、寝れないタチらしくて、毎日3-4時間しか寝れないらしいけど。 

 

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課題を"チャンス"と捉え、楽しむ

さて、そんな彼と仕事をしていて、とてもクリティカルな状況に追い込まれた時が何度かありました。

そんなクリティカルな状況に置かれていたある時に気づいたのが、彼は課題を楽しんでいる、ということ。そして、その課題を画期的に解決することこそが、自分の理想とする社会であり、自分が具現化したいモノやコトを創造することに繋がることだと考えられている。だから、課題に出くわすこと、そして、その課題の解決を図ることに楽しさを感じてる、と思わされたわけです。

その頃、「20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義」、という本を読んでいたのですが、その本には、「課題は解決すればするほど自信をもって解決できるようになる、そして課題は課題ではなくチャンスだと気づく」、といったことが書かれているのですが、まさに、彼はそれを体現した人だな、と思ったわけです。この本は、ベンチャー精神を持つスタンフォードの学生であり、その志向を持つ人向けの本なわけですが、大企業にも、イントレプレナーがいるな、と認識させられたわけです。

 

 

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憧れであり、ライバルであり、ベンチマーク

2013年を振り返る中で、理想の自分とを比較しようとした時に現れた企画屋さんの彼を明文化したわけですが、なぜ、明文化したのか?(明文化しないと、もやもやした宙ぶらりんで終わってしまうよね、という当然の話は置いておいて)

結局、彼は、理想であり憧れであるのと同時に、自分が最も具体的にベンチマークできるライバルだと思うのですね。超巨大企業の中枢で、技術も経営も革新的なアプローチでリードする企画屋さんの彼をライバルとするのは、恐縮ではあるのですが。

でも、以前書いたAPPLE日本法人社長の前刀さんが、盛田昭夫さんやスティーブジョブズをライバルと見立て、自分の能力であり、アウトプットであり、貢献やバリューを客観的にみて、成長を図った様に、誰かをライバルにおいて、自分を相対評価することは一つのアプローチだと思うのです(他方で、絶対評価による内省もする前提で)。

 

Capability Developmentと修羅場体験をし"続ける"

では、どうすれば、そんな企画屋さんのライバルに追いつき、追い越せるのか?という話に移っていくわけなのですが、結論としては、Capability Developmentをし"続ける"ことと、修羅場をくぐり"続ける"こと、が大事なのかな、と思うわけです。

20代の頃を振り返ると、Capability Developmentに拘っていたかな、と思う。アウトプットも大事だし、アウトプットベースで行動を規定はするものの、今は勉強期間であり、インプット期間である、という意識がどこかにあって、というもの。そして、30代のあるときから、元々想定していたCapabilityは獲得できて、あとはアウトプットに集中する、という志向に変わっていったように思う。

でも、それは間違っていて、CapabilityはDevelopmentし"続ける"ことが大事。Capabilityであり、人間の能力は無限の可能性があって、今よりももっともっと拡大できるのだと、最近色々な本を読んでみて思い、再びCapability Developmentを意識して取組んでみると、再認識されたため。

他方で、修羅場をくぐり"続ける"こと、修羅場に対峙することは、猛烈に課題に向き合うことを意味していますが、そのためには何が必要か?と考えてみると、何か新しいコトへの取組みの量、そして、その前段となるワクワクする何かを想像する量をもっと増やすことが必要だと思ってます。

 

自分がやりたいと感じたコトは全てやる

では、何をすれば、それらの量を増やすことができるのか?と考えたとき、結論としては、自分がやりたいと感じたコトは全てやる、ということだと思っています。

僕にとって、自分がやりたいと思っているコトは新しいコトとほぼイコール。そして、自分がやりたいコトを実現しようとしたとき、課題は勝手にどんどんでてくる。修羅場に出くわす機会も増えていく。そして、課題を解決していくわけだが、そのループを速くすること、そして、ループをちゃんと回すこと、常に、エクセレントな課題解決を図るという取組みを、課題毎にし"続ける"ということが、課題を常に"チャンス"と捉え、楽しみ、画期的な解決を図れる人になるためのアクセルになのだろうな、と思ってます。

と、書いてみて思ったのですが、先の企画屋さんも、自分がやりたいことをやり"続けて"いて、その過程で猛烈に学習し、Capability Developmentをし"続けて"いるわけです。そういう意味では、やりたいコトに取組む → Capability Development、の順番が正しいでしょうね。

ちなみに、彼は、自分のことを、企画屋、と仰っていました。だから、とあるメーカーの企画屋さん、なのです。彼とコンビニに一緒にいくと、新商品のお菓子を手に取り、なぜその"新"商品なのか、なぜそのパッケージングなのか、プロモーションなのか、みたいな話を、よく一緒に話していました。それって、こちらの本の本質的なメッセージだったりするのですが、僕はその時間が楽しくて仕方なかったんですよね。というのは、単なる想い出話です。

 

ということで、随分長くなりましたが、2013年の振り返り、おわりー。