たけしの華麗なる消費生活

消費したモノ・コトについて、書いています。

「感動」が生まれる理由

感動の閾値が低くなっている僕の日常生活

最近、感動や満足の閾値が低くなってます。突然のお話、恐縮です。

例えば、週末に突入するにあたってのプチ打ち上げ。昔は、誰かと飲みに行く等が普通で、楽しみにしていたと思いますが、最近は、プレモルに、セブンイレブンでの冷凍食品系(例えば、餃子とかお好み焼きとか)があれば、完全に満足できますし、味付きとろろも添えると感動的なレベルに達します。

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味付きとろろで感動してしまうレベル。文字にしてしまうと若干衝撃を覚えるのですが、最近、僕の感動の閾値が低下しすぎている気がするのですよね汗。

「感動」が生まれる理由

昔、世界的に有名なビジネスパーソンの講演を聞いていた時に、なぜ、人は感動するか?みたいな話がありました。その時に、彼が言っていたのは、

感動は、変化の幅である

ということでした。

例えば、普段、とある牛丼屋の牛丼を食べていたとして、特別な日に、神戸牛のフィレ肉を食べると感動します。牛丼と神戸牛の味の変化の幅が大きいからです。

でも、普段、神戸牛のフィレ肉を食べていたとして、特別な日に、神戸牛のシャトーブリアンを食べた時に、感動するか?ということです。

これは、感動するかもしれないし、感動しないかもしれない。そして、わかりにくい喩えを出してしまったのかもしれない。。。

同様に、最近の僕の食生活は、ほとんど家で食事をしているので、家のメニューに慣れてしまっているのですよね。少し前ならば、家のメニューに加えて、外食という不確実なメニューが何割か入っているので、家のメニューとは異なるメニューに出会うという変化に慣れていたのですが、今は、そんな慣れは消え去っています。

だから、僕は、味付きとろろに感動を覚えてしまうのかな、と思った次第。

おわりに

自分で読み返してみても、味付きとろろで感動、の「味付きとろろ」が少し引っ張られるワードだな、とは思いますが汗、感動が生まれる理由は、気に留めても良いかもしれません。

別の言葉で書くと、予定調和が壊れた時、人は何かを感じやすいし、ポジティブ側に、大きく変化が起きた時、感動が生まれるのだと思います。日常には選択の場面が沢山ありますが、その場面での判断の際に、少し思い返して頂けたらうれしいです!

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