たけしの華麗なる消費生活

消費したモノ・コトについて、書いています。

たけしの若手への一言(10)「継続」しているコトこそが、その人自身になる

行動を継続すると、能力に昇華する

何かの能力を獲得するためには、能力になり得る正しい行動を継続することが大事だ。例えば、足し算の問題を解く、という勉強の行動を継続していると、足し算を解く能力が身につくし、ピアノの弾く、という練習の行動を継続していると、沢山の曲をピアノで弾ける能力が身につく。

正確に書くと、正しい勉強や正しい練習、正しい行動の継続が必要で、その正しさを担保するために、その能力を持っている人やその能力を獲得するための行動を知っている人からフィードバックをもらうことが大事で、それはこちらにも書いた。

takeshikarei.hatenablog.com

言いたいのは、正しい行動を継続すると、能力に昇華する、ということだ。だから、「継続」することは大事だと思うのです。

継続しているコトこそが、その人自身になる

その話に近いのだけど異なるお話。

「継続」しているコトこそが、その人自身になる

誰から聞いたか、何で読んだか忘れたのだけど、とても印象に残っている概念。

例えば、毎朝元気に挨拶をする人は、周りの人は、その子を元気な子、とか、礼儀正しい子、と認識する。それは、まぎれもない事実、だ。仮に、その子自身が、自分は元気な子でもないし、礼儀正しい子でもないと思っていたとしても、その子は、元気な子であったり、礼儀正しい子なのだ。

事実の一部は、そのように、周りの人の定性的な認識や評価からできていたりするものだと思う。その人の行動の継続性や傾向から、認識は形作られ、評価が決められていったりする。結局、目や耳にしたことからでしか、誰かに関する認識は形作れないともいえるかもしれない。

逆に言うと、継続していない行動は、周りの人がそもそも目にも耳にもしていない可能性があるし、一度とか二度とかしか見たり耳にしていないかもしれない。その程度だと、その人の性質として評価されるに至らないのだ。例えば、自分はこんなことをしている、こんな人である、と自分では思ったとしても、「継続」できていないと、周りから、その人がそのような人であるとは認識されない。

外資系企業では、複数のプロジェクトで、再現性のある能力として認められるエビデンスがないとプロモーションできなかったりするが、これは、先に書いたことが、評価とプロモーションのプロセスに落とし込まれた形とも言えたりする。

仕事をしていると、こんな人でありたい、もしくは、こういう人と思われたい、などと考えることがあるかもしれない。もし、それを本当に実現したいと思うならば、そのような行動を継続していかないといけない。人は、自分のことを全く見ていないわけではないけれども、いつも見ていてくれるわけではない。だから、見てくれた時に認識してもらえるように、行動を継続しておくことが必要だ。そうすることで、ありたい自分として、人は認識していくのだと思う。自分だけの認識ではなく、周りの人々の認識になり、それこそが世の中における自分自身なのだ。

ありたい自分を周りの人に認識してもらう、という意味でも、行動の継続性は大事だと思うわけです。