たけしの華麗なる消費生活

消費したモノ・コトについて、書いています。

最高に優秀な頭脳のお母さんの子育て論

現役McKinseyの子育てブログ

少し前ですが、世界有数のMBAに通っている時のブログが流行っていました。その1つに、MITのMBAのがあったのですが、その書き手の方が、いま、子育てブログを書かれています。

lilac.blog.jp

ちなみに、MIT Sloanの時のブログがこちら。とてもリッチで面白かったです。

blog.goo.ne.jp

 

何の拍子に知ったのか忘れましたが、これらのブログは、戦略コンサルティングの世界トップファームのMcKinseyの女性の方が書かれています。そういう意味で、このエントリーのタイトルの通り、最高に優秀な頭脳のお母さん、の子育て論なのです。

子育てと高次元で両立し、仕事で結果を出す、という挑戦

とても興味深く読んでいるのですが、電通の過労死のケースを契機にかかれている最新エントリーがとても良かったので、共有です。

別に、お母さんに特化した話でも、お母さんお父さん向けの話でもなく、人生を豊かに過ごすための考え方なのかな、と思ったりしますし、ここ1-2年、僕がとても大事にする考え方だったりもします。引用しますね。

うちは、主人と私は完全に育児・家事を折半しているし、家事サービスを雇って、家事は半分以上外注している。 それでも私の感覚としては、仕事にかけられる時間は社畜時代の半分程度になった。 私が組織の中で成功するには、その半分の時間で、長時間労働の人と同じ以上の価値を提供するか、或いは常駐のシッターを雇って子育てを完全外注し、長時間働くかのどちらかしかないことに気がついた。  とりあえず、現在の私は、前者の効率化の道を突っ走っているが、まだ道半ばである。 子育てと仕事を両立するようになってから、仕事の効率は抜群に良くなった。 だが、半分の時間で、自分の2倍の時間働く優秀な人たちと同等以上の価値は、提供できるには至っていない。

長時間労働も厭わず頑張ってきたが、その働きぶりこそ、女性の働きやすさを阻害するアンチロールモデルだったとは全く思わなかった。  出産をきっかけに、そのことに気付いたときは愕然とした。  だからこそ反省を込めて 、今の私は子育てと両立しながら、短時間で生産性高く、価値の高い仕事をして成功できるか、に挑戦しているのだと思う。

ダイバーシティ、という言葉を知ったのは、外資系企業にいた10年以上前か。政府のリードもあり、特に女性活躍の観点で、一部の企業をトップノッチとして、その仕組みが急速に整ってきているが、まだ道半ばです。

そして、仮に、仕組みが整備しきった、といった状況になったとしても、実は、引用したような環境は残るだろう、と思います。それぞれの企業で最前線で仕事をしているビジネスパーソンは、結局、ギリギリまで仕事を頑張っているのです。それは、決して悪いことではないし、その会社をリードしている大切な存在です。

しかし、もし、その会社で最前線の活躍をしたいと考える、子育てをする親は、子育てにとらわれないビジネスパーソンと競争しないといけないわけです。その状況はなくならないのだと思います。そういう意味で、彼女のチャレンジ、は好感が持てます。

子育てと両立しながら、短時間で生産性高く、価値の高い仕事をして成功できるか、に挑戦しているのだ

僕も、子育てをする親であり、家族を大事にする一人のビジネスパーソンとして、同じような思いを持っているのでとても共感しますし、非常に優秀な同志が一人いる。そう考えたら、力が少し湧いた。そんなブログのエントリーでした。

「子供の目を見る」ことのポジティブな意味合い

僕の勝手な理論です。

子供を見る、見ていることに気づいてもらう

ただの経験則なのですけど、例えば、子供が、何かの絵を描いている、そして、その絵を描き終わった、という子供の行動。そのとき、僕は彼を見ているから、夢中で絵を描き終わって顔を上げて目が合う。すると、彼は目をキラキラとさせ、うれしそうに絵を僕に見せてくる。

そんな一連の出来事。自分が夢中になって精一杯絵を描いていたのを親が見てくれていた、ということに彼は気づくわけです。基本、何かに頑張っていたり、何かをしていた時に、目が合うと、子供はとてもうれしそうな目をします。

基本は承認欲求だと思っていて、頑張った何かについて、親に認めてもらいたい、気づいてもらいたい、ということ。あとは、自分が何かをしている時も、親と目が合うことで、親は見ていてくれる、そばにいる、と気づく安心感。うれしそうな目には、幾つかの要素が入っているのかなと考えています。

としたとき、子供を見ていること、子供に気づいてもらうことは、何か新しいことや頑張ることに対してポジティブになる、積極的になるのではないか、と思っています。もっともっと何かをやってみよう、頑張ろう、と思うのではないか、と。

そんな風に、僕は考えていて、子供と一緒にいるときは、子供を見ていて、目と目を合わせます。この行動がどこまで何の意味合いがあるのかは、一旦上記のように考えたりしているのですが、本当の所はよくわかりません。でも、子供が喜ぶのは間違いないと思うので、沢山子供の目を見てあげて頂ければと思います!

アーティストのCharaと、母親のChara

Charaと僕

結構前のアナザースカイが、CharaのNew Yorkでした。アナザースカイはHDDに録画してて、興味のある方の時に見ているのですが、Charaの回はとても印象深かったです。

映画スワロウテイルの時は、僕は学生時代であり、ある種、青春時代でもあったりして、勿論Charaはその頃から知ってます。幾つかの曲はヘビーチューンで聴いていたし、カラオケで誰かが歌っているのを聴いていました。浅野忠信と結婚し、離婚し。所謂アーティストだよね、そんな距離感です。

アーティストであり母親であるCharaの変化

そんな彼女がNew Yorkに行き、語っていたのですが、後半に母親になることでアーティスト活動が変わった話をしてて、それが印象的でした。

独身の頃は、人と違う言葉をいかに使うか、人と同じじゃないモノがいいって思ってた。でも、子供を持ってからは、シンプルなその辺に落ちてる言葉がすごい大好きになっちゃって

アーティストであり、自分で作詞をする彼女ですが、子供が生まれる前と後で、詞の使い方が変わった、という件でした。そして、ここにすごく共感したのでした。

子供を育てることは、当たり前の毎日が当たり前でなくなること

自分で書くのもなんですが、自分はあまのじゃくで、something new, something differentを大事にする人だと思います。基本、それは変わりないのですが、子供が生まれる前と後で少し何かが変わったのかなと思いました。

子供が生まれる前は、分かりやすい違いを求めていて、世の中を変えるような何か、違いを生み出したいと思っていました。今もそれはあるのですが、子供が生まれた後は、当たり前の毎日の中にある違いに気づき、何かを変えたいと思い出したのです。その前は、他にはない何かを求めていたのに、それはそこまで求めなくなりました。

多分、子供が生まれて、彼と過ごし始めたことで、毎日の見方、捉え方が変わったのかな、と思います。一日一日の変化に敏感になり、当たり前の毎日が、当たり前でなくなったのが子育てだったりするのかな、と思います。

ちいさなちいさな彼や彼女らと過ごしていると、彼や彼女らの目線になり、世の中を新しい目線で見直すことになります。そうしたとき、当たり前の毎日がなんだか楽しくなったように思います。当たり前に過ごしていると気づかないような小さなことが、今までは素通りしてしまったような小さなことが、なんだか楽しいことに思えてきて、そして、そんな小さなことに気づくことが人を少し変えたりするのかな、と思うようになったのでした。

おわりに

Charaの変化と僕の変化は正確には違う話なのですが、そんな変化を気づかせてくれたアナザースカイのCharaの回でした。子供が生まれ、子供を育てることは、その親を変えること、変化を起こすことだなぁ、と改めて思ったのでした。