勝率98%超の数学マーケティングの戦略論
理論と実践のアウフヘーベンが詰まったマーケティング本
「確率思考の戦略論」。この本は非常に面白かった。
ビジネス本は、学者が書いた本と、ビジネスパーソンが書いた本に大別されるわけだけど、学者の本は、何かのテーマについて、関係する現場の情報を定量・定性調査から収集し、ロジックを基に、演繹的に抽象化した内容を本にしている一方で、ビジネスパーソンの本は、何かのテーマについて、実体験としてある情報をつなぎ、帰納的にまとめた内容を本にしているのかな、と思う。
どちらの本でも学びがあるものは多いが、学者の本は、構造的に整理されている一方で、ビジネスの現場で何かの打ち手を推進したときに、また別の何かで問題が起きてしまうなどのハレーション影響を考慮できていることは少なく、ビジネスという生き物が、時間軸を一定引っ張った時に、何が起きうるか、起き続けうるか、ということまでは表現できていることは少ない。一方で、ビジネスパーソンの本は、その一つのビジネスにおいて具体的な記載がされてはいるものの、その本の読者が置かれている事業環境に照らしたときに、読んだ日から活用できるケースは少ないだろう。
そう考えたとき、学者の本とビジネスパーソンの本は、それぞれ痛し痒しなのだけれども、実業もやっている学者の本や、理論化することで成功の確度向上を図るビジネスパーソンの本においては、その両方の良い要素を兼ね備えた本が、ごくたまにあって、この本はそんな一冊なのかな、と思う。
USJで勝率98%超の数学マーケティングの戦略論
著者は、元P&Gのマーケターとデータサイエンティストで、ユニバーサルスタジオジャパン(USJ)でV字回復を果たし、直近では企業再生ファームを起業した、森岡 毅さんと今西 聖貴さんだ。森岡さんがマーケターで、P&Gで活躍され、日本マーケットのブランドマネジャだけでなく、US本社やアジアを中心にマーケティングで名を馳せた方であり、今西さんもUS本社でデータサイエンティストとして、各種定量分析でグローバルの戦略立案に寄与された方だ。
前者の森岡さんが事業主体者として、今西さんが事業支援者としてタッグを組み、P&Gの時もそうだし、USJでも、多大な実績を残した。特に、USJでは、2010年に入社し、年間来場客数は730万人だったところ、6年で1,390万人まで倍増のV字回復させている(この短期間・規模感での倍増はかなり凄い)。その間に、打ち込んだ施策は64個で、投資回収した施策は63個と98%以上の勝率をほこる。エンタテイメントであり、コンテンツビジネスは、ばくち的な要素が強く、ホームランがたまにはあるものの、勝率は低いのが一般的であるのが常な中、常勝の実績を築いた理論がまとめられている。
冒頭に書いた二つのパターンのうち、事業会社で活躍された方であるが、学問的、このケースでは、数学的な理論を駆使し、実績を上げた考え方が詰まっているのだが、リアルなビジネスを推進していく中での悩ましさに触れながら、生ものである現場感と、一方である学問的な数式とをうまく両立させ融合させていく内容には、実業で悩み散らかしている人には爽快さがあるのではないだろうか。
具体的には、カスタマーマーケティングにおける理論的な要諦と、その要諦を踏まえた上で、現状を正しく理解し、勝てる戦略を立案するためのプロセスにおいて、必要な定量的な分析を主軸に置いているのだが、カスタマーマーケティングを中心とした業務に携わる方(一般的な機能部署で言うと、B2C企業やB2C2C企業で、マーケティング、事業戦略、事業開発等)は、一度読んでみて欲しい。数式自体には難解さが一部残るのだが、定量的に現状を正しく理解するという意味では、十分実用的なレベルの内容だと思う(このレベルに達すると常勝になれると言えるのだろう)。
この戦略論に在る考え方や価値観
具体的な戦略論や数式については、本を読んで頂くとして、その戦略論や数式を取り扱う人である、森岡さんや今西さんの考え方や価値観にも迫っておきたい。
- 市場を精緻に理解することに情熱を燃やし、「勝てる戦いを見つけること」と「市場構造を利用する方法を考えること」に思考を集中する
- 一番良いと思えるプランAに対して必ずプランBを考えてみる
- 戦略家は、1)自分自身の時間をどこに集中して使えば戦果が最大化するか、2)自分以外の人々をどこにどう集中させて使えば戦果が最大化するか、この2つを冷静に考えるのである
- 合理的に準備して、精神的に戦う
- 文字という「記号の世界」に落とし込めるのは、頭の中にある我々の「認識の世界」の本の一部に過ぎない
一つ一つ、少し触れていこうかな、と思う。
1. 市場を精緻に理解することに情熱を燃やし、「勝てる戦いを見つけること」と「市場構造を利用する方法を考えること」に思考を集中する
最も大事な部分。市場を理解することの逆で、市場を理解しないことについて、真っ暗闇の中でライトもつけずに目的地に行こうとすること、等の比喩で例えられているのだけど、でも、非常に沢山の会社で、市場であり、現状を正しく理解しないままに、何かの打ち手を考え、実行することは多いだろう。
しかし、正しく理解することで、カスタマであり、顧客を出発点とする正しい戦略ができるようになると思う。そうしないと、再び比喩的な表現をすると、ボタンの掛け違いを起こしてしまうのですよね。市場であり顧客を見誤ると。その後の検討は全て無駄になる(違うところにボタンをかけてしまう)。そういう意味で、実に大事な部分だと思うし、本を読むと難しい部分であることもわかると思う。
2. 一番良いと思えるプランAに対して必ずプランBを考えてみる
マーケティング戦略を考える森岡さんは、必ずプランBを考えるという。そうすることで、致命的な失敗から救ってくれた、と。1.に書いたように、緻密に正しく市場構造を理解し、そして、戦略を立案していくので、出来上がった戦略は正しい、と考えがちだろう。しかし、それでも、その一番良いと思えるプランAに対して、異なるプランBを考えていく、という。非常に明晰な内容を読み進めていった中で、この文章を読むと新鮮な印象を抱かざるを得ない。そのプランAはきっと正しいよと思えてしまう中で出くわす文章なので。
多くの人は、一定深く長く思考してたどり着いた結論については、それしかない、それが正しい、と思いがちで、一点突破してしまいがちだと思う。多大な労力を費やして、その結論に達した場合も多く、それが正しいと思いたい、というのもあると思う。
でも、そうではないプランを自ら考えていく、という習慣。ひょっとしたら、プランAではなくプランBが最終的に採用されることもあるかもしれないが、そうではなく、プランBを検討する中で、プランAを補強するような気づきが見つかり、プランAがアップデートされ、プランA’となることもあるのかもしれない。どちらにせよ、よりよりプランができるのではないか、と思ったわけです。
3. 戦略家は、1)自分自身の時間をどこに集中して使えば戦果が最大化するか、2)自分以外の人々をどこにどう集中させて使えば戦果が最大化するか、この2つを冷静に考えるのである
人的リソースをいかに最適に割り当てるか、は、戦略立案者にとって、クリティカルな論点だろう。戦略立案者として、どこまで、事業や会社の全体リソースを自分事として、リソースの割り当て方を考えるかはとても大事。でも、仮に、事業戦略や全社戦略を考えるポジションについていないとしても、とあるプロジェクトにアサインされたときのプロジェクトのリソースの割り当て方を考えるのは、スケールこそ違えど同じ論点と考えることができると思う。
そして、思うのだけど、1)と2)は独立した二つの要素ではなく、相互に関係した要素であることを考える必要があるだろう。自分と自分以外がおり、自分の時間をどこに集中させるか、は実は自分以外の人々のリソース(ケーパビリティや人数等)によるところが大きい。その両者を合わせて冷静に考えて、実行していくことが大事だろう、と思う。
4. 合理的に準備して、精神的に戦う
日本企業は精神的に準備して、精神的に戦うことが多い、と。。。まあ、そのような会社は多いのかもしれない。1や2で上げたポイントをおさえながら合理的に準備しつつ、精神的に戦っていくことが重要だ。恐らく、学者は、合理的に準備して、合理的に戦うことを説きがちだし、外資系企業も、合理的に準備して、合理的に戦うことを志向するかもしれないが。
この本の前半部は、実に合理的に戦略立案のプロセスを説明していくのだが、途中でこの精神的に戦う話がでるのが、日本的で良いと思ったし、実際にそこが日本企業の差別化要素になりうるのではないかな、とも思う(外資系企業を渡り歩いた著者だが、実に日本的で共感できるし、冒頭に書いたように、企業再生ファームを創ったのは、日本企業を再生することが目的なので、さらに興味深くなった)。
最終的には根性かもしれないし、途中は、ともに働く仲間との連帯かもしれない。そんな日本的な良さ、精神性も持ち合わせて戦うことで、勝率は高くなるのかもしれない。僕も、日本企業も外資企業も経験しているので、同調する部分があったのです。
5. 文字という「記号の世界」に落とし込めるのは、頭の中にある我々の「認識の世界」のほんの一部に過ぎない
長い間、僕がもやっとしていたことの解説が、この本に転がっていた、という感じ。もう少し引用してみましょう。
頭の中で素晴らしいと思っていたコンセプトをいざ実際に書き出してみると、思っていた強さがどうしても失われるという感覚に見舞われたことはないでしょうか
私の世代では、自分の想いをラブレターで伝えたものですが、想いのほんのちょっとしか言葉にできないあのもどかしさ
「現実の世界」を知るには、現実をサンプル抽出したデータや言語などの「記号の世界」に一度翻訳しなくてはなりません。我々は現実の全体を直接見たり触れたりできる訳ではありません。その一部を「記号の世界」に通すことで、我々の頭の中の「認識の世界」を構成することができるのです
我々は「認識」と「現実」の間に、データや数字や言語といった「符号」を媒介させて、現実の世界をできるだけ正しく知るしか方法がないのです。そのためには、間に必ずズレが生じていることを知ったうえで、1) あらゆる「データ」の性格をよく理解し、できる限り現実に符号させながら読み解いていくこと。2) できるだけ多角的な「データ」を用いて整合性のある現実の認識を構成していくこと。この2つのアプローチしかない
少し引用が増えてしまいましたが、読んでいて、特にテンションがあがったトコロの一つ。
戦略立案の現場目線で言えば、何かの一つの分析(定量も定性も)をすることで得られた意味合いは、一面的でしかないのと、その分析の性質を理解しないと、逆にミスリードになってしまうため、現実と分析結果をいったりきたりしながら、多面的に正しさを担保しないと、鮮やかに間違えるよ、という話ですね。分析した満足感からか、鮮やかに、間違えます。これは、企画の仕事をしている人にはあるあるなのではないでしょうか。
そして、思うのです。僕たちは、様々な分析をしながらも、正しく現実を理解するためには、実に謙虚でなければいけないな、と。自己満足的に、分析をしたり、演繹的にロジックを紡いで、何かの意味合いを導出できたとしても、それは、本当に現実なのか?もしくは、それは、本当に現実に起こり得るのか?と。
事業とは、世の中であり、市場であり、カスタマと相対しながら、営んでいくことなのかと思いますが、そうしたとき、世の中であり、市場であり、カスタマの現実を理解することの難しさを改めて感じるのとともに、もっともっと謙虚でなければいけない、と思ったのでした。
おわりに
さて、少し長くなりました。最後に一言ですが、非常にオススメです、この本。実は、随分前から、この本の存在は知っていたのですが、USJに興味が全くなく(関東人なので汗)、USJの本なら、ちょっといいかな、と思って蓋をしていたのですが、P&Gのトップノッチの方の本でもあり、マーケティングに興味のある人、マーケティングに携わる人には一読の価値ありかと思います。是非、試して頂ければと思います!