たけしの華麗なる消費生活

消費したモノ・コトについて、書いています。

たけしの若手への一言(5) 圧倒的な自責での振返り

一日の振返りではなく、一年の振返りの良さ

12月は一年を振返るのには良いタイミングだろう。日頃、毎日振返ることを進めている僕だが、一日ではなく一年という粒度で振返るのにも意味があると思っていて、勧めていたりする。(1月になっていますが、エントリーしておきます!)

毎日だと、とても細かい粒度での課題とその改善がなされるわけだけど、一年だと、大きな自分の課題や改善したいことが浮き彫りになるのではないか、と思うし、個人的にやってみると、大きく変えたいことが出てくるなー、と思う。

どちらも大事なのだけど、大きく行動習慣を変えるようなことが、一年の振り返りではできるのかもしれない、とか思ったりする。僕の場合は、数えてみると、三つくらい大きなカテゴリでテーマを立てたのだけど、その話はまたの機会に。

振返りの果実は、自責から得られる

さて、そんな一年の振返りも、一日の振り返りもどちらにも当てはまるのが、どのように振返るか、が大事なのかなと思う。振返り自体は大事なのだけど、どのように振返るかは、教える人は少ないのかもしれないな、と思います。

実は、一部はここに書きました。

takeshikarei.hatenablog.com

4番目の「毎日」自省し、改善する、のトコロですね。もしよかったら、他の部分も含めて読んで頂きたいですが、ここでは、こんなことを書いています。

毎日、自分で自分を評価し、自分の課題を見つけ、改善策を考える、っていう行動に着地したわけです。BCGの御立さんの本に倣って、エクセルで、毎日、改善行動を定量的に評価したりしてね

帰りの電車で、メモ帳を引っ張り出して、一日の出来事を朝からトレースする。うまく出来なかったことは何か、もっとうまく出来るべきだったことは何か、逆に、実は今まで出来なかったけど今日思いのほかに上手く出来たことは何か、明日は何を改善するか、それはどんな行動か。それを明文化して、目に見える様にする。そして、次の日の行きの電車で、メモ帳を再度引っ張り出し、昨日書いた文章のうち、本当に大事だと思うことには線を引き、必ず行動に結びつけるようにするという毎日

これに補足したいのが、圧倒的に自責で振返る、ということです。例を出してみると、わかりやすいかもしれません。例えば、こんなケース。

何かを他の部署の誰か(Bさん)にやってもらわないといけないことがある、という状況にAさんが置かれたのですが、最終的に、そのBさんは期限内にやってくれなかった。

組織に属していると、あるあるなことなのかもしれない事象についてですが、とあるAさんは、こんなことを言います。

Bさんに何度も言いました。でも、Bさんはやってくれませんでした。

これは、他責な人がする発言の顕著な例です。一方、自責が強い人はこんな風に発言します。

僕の頼み方が悪かったのかもしれません。どのように実施するか理解してもらえなかったのかも。彼も忙しかったと思うので、もう少し前のタイミングで詳細な説明をする場を設けた方が良かったのかもしれません。あと、Bさんの上司も巻き込んだ方が良かったかもしれません。

他責の人と自責の人とでは、うまくいかなかった局面を振り返る際に、なぜ、うまくいかなかったのか、を考える幅も深さもとても広く深い。他責の人は、自分が何をしたか、どのようにしたか、の領域でうまくいかなかった要因を探ることはなく、誰かのせいにして思考がとまってしまいますが、自責の人は、次に同じような局面に出くわしたときにできるだろう打ち手につながるレベルにまで、要因を深堀することができています。

これは、顕著な例ですが、この例とあまり変わりないレベルで、毎日沢山、他責の人と自責の人との間で差分が起きています。そんな風に、他責の人の振返りを考えてみると、とても楽なことになっているのかな、と思います。仮に、一日をトレースしてうまくいかなかったことについて頭をよぎったとしても、誰かのせいにして終わりでしかないので、そこから要因分析や今後の改善の打ち手を考える必要もないわけなので、とてもざっくり終わります。そんな風に振返っていると、あまり意味がない振返りなので、振返りをちゃんとすることもなくなってしまうのですよね。

圧倒的な自責での振返り

そんな風に、このような差分が毎日沢山の機会で起きていると、改善する人としない人、自責の人と他責の人とでは、能力開発において、大きな差が生じていくのですが、実は、局面によって、同じ人でも、自責になることも、他責になることもあるのかな、と思います。いつも他責の人もいますが。

同じ人でも、その何かが、自分が得意・得意でない仕事、好き・嫌いな仕事、優秀な人・優秀でない人との仕事、合う人・合わない人との仕事、などなどで、自責になることも、他責になることがあるのかな、と思います。先の例のように顕著な他責っぷりではないかもしれませんが、自責でも他責でもなく、他人ごとのように見過ごすこともあったりします。あまり自分では意識できないことなのかもしれないですが、客観的に誰かの仕事っぷりを、色々な局面でみるとそんな風に思います。

で、思うのです。人には、自責と他責の両方があったりするのですが、そんな人間的な性格も鑑みた上で、圧倒的な自責の下、自分の出来事を振返ることが大事なのかな、と。僕自身、油断すると他責になっているかな、と思うことがあります。気を付けて、自責になり続けないといけないのかな、と思います。