「ミライの授業」の書評
実は過激な瀧本哲史さん
瀧本哲史さんの「ミライの授業」。瀧本さんは、とあるセミナーのセッションで話をされているのを見たことがあるのですが、キャリアや写真とは違って、過激な発言をされ、かつ非常に面白く、かつシャープな提言をされる方なので、個人的に結構注目をしていて、過去にはこんな本を読みました。
結構読んでますね。。。
中学生に向けた本「ミライの授業」
どれも、とても良いことが書かれているのだが、今回は、「ミライの授業」について。なんでも、彼は、全国の中学校に出向き、「ミライ」の授業を行ったそうだ。
その内容が本になったのだけれど、中学生に向けたコンテンツ、というのがキー。大学受験はまだ先で、でも小学生のような子供でもない。そんな不安定?!な時期が中学生だ。中二病とかとも言うしね。まだ、何もないし、これから何かになっていく中学生に対して、ミライを考えるために用意したコンテンツだ。
ちょっと刺さったところを引用しますね。
- みなさんは、学校という場所で、魔法の基礎、を学んでいる
- 世界を変える旅は、違和感、から始まる。違和感をスルーせず、自分の中で大切に育ててください。その小さな違和感こそが未来につながる冒険の扉なのだ。変革者たちは自分の中に芽生えた、小さな違和感、を掘り下げ、常識を疑い、嘘を見破ることから冒険をスタートさせてきた
- 自分が理想とする社会を具体的に思い描いていたこと。そして、みずからの理想を言葉として、あるいは、ファッションとして、形にして残した
1が、勉強に関する見方として、とてもユニークだと思う。でも、正しい事実だとも思う。勉強をしていくと、世界のことがわかってきて、世界を変えるための方法もわかるのだけど、うっかりすると、勉強が世界とは離れた存在になってしまう。しかし、そんなことはなくて、世の中とちゃんとつながっている。魔法って言葉はキャッチーなんだけど、確かに、確実に世の中を変えているのは、テクノロジーを中心とした学問の先にある行動であり、確かに勉強てやつは魔法なんだよな、と思わされる。
2は少し前から、僕自身が気に留めている概念だったので、とても刺さった。毎日を過ごす中で気づく、違和感てのを大事にすべきだし、そこから、進化や革新が生まれるよね、ということ。当たり前の何かというのはなくて、当たり前と思っていたことの中によぎった違和感こそが、当たり前を進化させ、次の当たり前を創るための基点だったりするのだと思う。子供は、よく、なんで?と言ったりするけど、それに通じるところもあるのかなと思う。
3はココシャネルのことを言っているんだけど、あくまで一人称の自分が描く理想の世界と、それを言葉や形にして、理解できるようようにすることが、世界を変えることに通じるのだということ。1とかは勉強の話なんだけど、それだけではだめで、2で違和感に気づき、世界を変える種を見つける。そして、では、あなたはどうするのか、といったアクションの話がこのビジョニングの話だったりするのかな、と思う。ちなみに、このようなことをできる人こそが、リーダーだったりするのですが、それはこちらで書きました。
おわりに
先にも書きましたが、著者は、灘中学や、福島第一原発事故の影響で避難生活を余儀なくされている福島県飯舘村立飯舘中学校などの様々な中学校にいき、本書に書かれたような授業をしたとのこと。中学生にとって、目の前の勉強がどれほどの力を持つか、をとても理解できる良い機会だったのだろうな、と思います。
この本を通じて、より沢山の中学生や若者が勉強の持つ力を理解して、魔法のような力を身につけ、世界をより良く変えていけるようになったらな、とポジティブな気持ちにさせる本でした。良い本ですね。子供を持つ親が読むのもよいかなと思いました~