たけしの華麗なる消費生活

消費したモノ・コトについて、書いています。

消費者を動かすアイデアの出し方

USJをV字回復させた人のアイディエーションの本

少し前にこちらを紹介しました。

takeshikarei.hatenablog.com

USJをV字回復させた、P&G出身の方々の本で、とても面白かったのですが、三部作ということで、他の二冊がこちら。 

 

USJを劇的に変えた・・・」の方はマーケティングフレームワーク等に関する本で、今回紹介する「USJのジェットコースターはなぜ後ろ向きに走ったのか?」は、アイディエーションに関する本です。

定量的な分析を掘り下げ積みあげることでできるマーケティング戦略ができたとしても、それは紙の中のお話に過ぎず、最終的には、人の感情や行動を動かすアイデアが必要なわけで、それが、マーケティングの面白さでもあったりすると思うのですが、そのエッセンスが詰まった本かな、と思います。

前回エントリーを読んで頂いた方はお分かりの通り、著者はバッキバキの左脳思考の方なので、そんな左脳思考の方には、ぜひ読んで頂きたい本かな、と思います。

イデアを出すために必要な構造

さて、そのアイディエーションの方法論についてなのですが、まず構造があります。

  1. 目的:そもそも達成すべき命題は何か?
  2. 戦略:目的達成のために経営資源を何に集中するか?(アイデアの必要条件)
  3. 戦術:具体的にどのように実現させていくのか?(アイデア

本中の具体例を引用すると、こんな感じです。

  1. 1000万人レベルの年間集客の達成
  2. ファミリーを獲得する:その必要条件として、①「小さな子供連れは楽しめない」という 認識を覆すものでなくてはならない、②実際に数割増えるであろう集客に十分な収容キャパがなくてはならない、③設備投資資金の予算内で実現できるアイデアでなければならない、④既存資産とのプラスの相乗効果で経営効率を高めるアイデアであればなおよい
  3. 新ファミリーエリア「ユニバーサル・ワンダーランド」の建設

分析し整理することで、1、2を導出することも大事なのですが、それらを本当に実現するための3のフェーズが難しい。だって、相手は一人ひとり異なる生身の人間ですからね。

イデアを出すために必要な習慣

そこで、本書では、こちらが紹介されています。

  • 価値を生み出すアイデアの切り口は、経験上、ほとんどの場合、「消費者理解」の中に埋まっている
  • マーケティングをやる人間は何でも自分自身でやってみる、ことを習慣にするべき
  • この世界のどこかに、過去から現在に至るどこかに似たような問題に直面した人がいるのではないか 、と探す

観点として、消費者理解、の重要性にフォーカスし、具体的な行動として、実際に自分でやることと、探す、ことを説いています。とても大事な行動習慣かな、と思います。

よく事業企画やマーケティングを担当しているので、商品やサービスを自分では使っていない人がいたりしますが、ちょっとあり得ない、わけです。消費者のことを知りわかり、自分自身も消費者に実際になってみよう、ということ。

これを徹底できるかどうかが分岐かな、と思います。やはり、徹底している人は少ないです。

気がつかないことは考えられない

加えて、これらの根底にあるのが、こちら。

気がつかないことは考えられない

自分自身でやってみても、色々な文献やら何やらを読んでみたとしても、消費者を動かす何かに気づかなければ、考えつくことはできない、ということです。これが、最もクリティカルかもしれません。同じ現象を目にしたり、同じ体験をしたとしても、何かに気づく人と、何にも気づかない人がいる、そして、その結果、何かのプランを考えられる人もいれば、考えられない人もいる、ということ。

もう少し掘り下げると、例えば、何か心が動いたとき、なぜ、心が動いたのか?他と何が違うのか?などについて敏感になると同時に、言語化できるかどうかが大事なのかな、とか思ったりします。先のエントリーにも書いたように、言語化できないとプランにはならないのですが、そんな言葉の断片を材料化しておくことが大事なのかな、と思ったりします。このような習慣についても、毎日積み重ねることで、気づく量が増えていき、面白いことを考えられる人とそうでない人を分けるのかな、と思います。

おわりに

前の本も面白かったのですが、この本も実に面白かったです。その方法論のエッセンスが面白いというのもあるのですが、マーケターてヤツが面白いのかなとも思ったりします。ぜひ、こちらの本もご一読して頂ければと思います!

週末のパパの過ごし方 改造論

週末の過ごし方をちゃんと考えてみることが必要

僕たちの多くは平日は外で仕事をして、家族と過ごす時間の多くは週末です。しかし、その週末をいかに過ごすかをよく考えているか、というとそうではなかったりする。かくいう僕も、少し昔はそうだった。今回のエントリーはそこを少し掘り下げました。チャートにしたのは、週末の"家の中"で起きることのGOODとBADについて。

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週末の"家の中"のGOODとBAD

BADは、少し昔の自分を振り返ってみて書いてみた。週末はなんとなく受け身で過ごしていた。テレビを見たり、ぼーっとして過ごしている。一方で、家事はいつもの通りあるし、子供は父親と遊びたいと言っている。そのまま、なんとなく過ごしていると、いつの間にか昼になり夕方になってしまう。その時、家事が残っていると、その状況は目に入ってきて、なんとなく追われている感がある。奥さんはたまには手伝って欲しいと思っているか、直接手伝って、と言われる。また、子供の相手をしていないと、子供は怒ってしまったり、他の遊びをしたりしている。

ひょっとすると、このような週末を過ごす人は少なくないのではないでしょうか?

一方、GOODは、最近僕が自覚的に取り組んでいることだったりする。なんとなくは過ごさないで、行動の優先順位を明確に付けている。優先順位の上位には、家事であり、奥さんを楽にする何かを終わらすことがあり、また、子供のリクエストに全て応える、というのを置いている。だから、朝起きたら、部屋を見渡し、片付けや洗濯などをどんどんサクサクやっていく。ごみ箱にごみが溜まっているようなら入れ替えるし、トイレットペーパーのストックがないならすぐに補充してしまう。子供がかくれんぼをしたいと言えばかくれんぼをするし、サッカーをしたいと言えばサッカーをする。

そうしていると、一日の前半に家事のほとんどは終わっていて、家事に追われているのではなく、家事をコントロールできているように思えるし、視覚的にやらないといけないことはないので、以降の時間ではストレスはほぼゼロになる。奥さんの顔は穏和になる。一方、子供もすべてのリクエストに応えることで、関心事項をやり遂げられるので、当然行動量は増えるし、その過程で好奇心は生かされるし思考量も増えていく。勿論、子供についても笑顔の回数や時間は激増する。そんな奥さんや子供の顔や、家の中の雰囲気を感じていると、僕自身も家の中に快適さを感じたりする。

やるべきことを優先させても、やりたいことはできる

これらを読まれている方は、なるほど、奥さんと子供に尽くす、ということですか。と思う人もいるのかもしれないけど、僕自身はそんなことを全く感じていない。やるべきことをどんどんサクサクやっているだけ。そのやるべきことをやるのかやらないのか、で悩むことも考えることはムダだと思っていて、ただどんどんサクサクやってしまう、ことが大事だと考えている。少し前にもエントリーしたけど、家事は有限だし、子供のリクエストも一応有限だ(結構天井は高くなるが)。

そして、やるべきことをやった後の時間でも、自分がやりたいことをする時間は十分にある。もっと言えば、やるべきことをやろうかやるまいかを迷っている時間をゼロにする、または、どんどんサクサクやってしまうことで得られる経験効果による生産性向上による時間削減や、どんどん片づけてしまうことでムダなことに脳みそを使わない(例えば、まだ掃除機をかけていないがために目につくホコリに気を使わなくてすむことによる、体力や能力のムダを削減している)で、自分のやりたいことをする時間は相対的に増えたりもする。

そう考えて、やるべきことはとっととやってしまった方がよいと結論をつけて行動を決めている。漠然とした何かのやりたいことをやるべきことよりも優先させるのではなく、まず、やるべきことを優先させて終わらせ、その後、やりたいことをやることにする。そうすると、やりたいこと自体が実は明確になるのと、漠然としたことに時間を費やさなくなる。そうすると、週末の"家の中"は、少し前よりもとても快適になった、と思うし、充実した週末を過ごせた、と思える回数が増えたようにも思う。

おわりに

少なからず、家の中にいるときの自分の行動や時間の使い方に悩む人はいるのではないだろうか。少し極端な紹介だったようにも思いますが、やらないといけないことはとっとと終わらせる、とか、優先順位が高いことに時間を優先させる、ということを自覚的に実践することは、家の中を快適にするために大事な行動であり思考なのではと思ってます。

たけしの若手への一言(9)信頼の失い方

当たり前のことを当たり前にやらないと信頼は失う

仕事をしていると、一人だけで、大きな目的を達成できることは少なく、基本は、誰かとのやり取りも含めて、やり遂げることになります。そう考えた時、誰かの信頼を獲得することは大事で、それらがあることで、自分に入る情報や出くわす機会の量が大きく変わってくるからです。

本来的には、何度か書いていますが、誰かの期待値にミートするとか、超えるとかが大事なのですが、それ以前に、当たり前のことを当たり前にすることが大事だと思っています。でも、当たり前のことを当たり前にやらない人が結構いたりするのですよね。

例えば、時間を守らず普通に遅れてくる、とか、やると言ったのにやらない(しかも、絶対にできること)、とか、日本で日本人が相手であり社会人なのに、丁寧語や尊敬語を使わない、とか。当たり前のことを当たり前にやらない。そうすると、相手は、当たり前のことを当たり前のものとして期待値をおいていて、その期待値を下回ってしまうので、なんだかな、と相手は思ってしまいます。

当たり前のことなので、そこまで大きなことではないので、その時々では、小さな幻滅なのかもしれないですが、一方で、当たり前のことなので、頻度は結構高めなので、積もり積もって、大きな幻滅になり、信頼は失われていってしまいます。

当たり前だけど、当たり前のことは当たり前にやったほうが良い

これらって、社会人になりたての一年生は、よく注意をされて、できなかった人も、一年生のうちに、できるようになります。でも、そのように注意してくれる人に出会わないで、当たり前のことが当たり前にできないアラサーとかも結構いたりします。運が良いとアラサーでも注意をしてくれる人がいるのですが、注意が効かないともはや諦められてしまい、キャリアの中で、当たり前のことで成り立ちうる信頼を失い続けることになります。まあ、そのような信頼がなくても、他のパフォーマンスで余裕でネットプラスになるのだから、当たり前のことなどできなくていいわ、という考え方もあるのですが、個人的には、失わないでも良い信頼をわざわざ失いにいかない方が良いのではないかな、と思ったりします。

当たり前のことを当たり前にする、という観点で仕事を見つめてみると、当たり前のことって結構そこら中にあるので、仕事全体としてのクオリティもあがるのかな、と思います。そんな風に、仕事を見つめる機会をたまにもうけてもらうと良いかな、と思います!