たけしの華麗なる消費生活

消費したモノ・コトについて、書いています。

宇多田ヒカルが、当たり前になってしまった子育ての不都合に気づかせてくれた

宇多田ヒカルを聴いて育った。そして、いま、彼女も僕も子育てをしている

ちょっと俯瞰して考えてみると、すこし不思議になりました。大学の頃だったかに宇多田ヒカルのautomaticを聴いて、いわゆる青春てヤツを過ごして、甘酸っぱい時間を彼女のいくつもの楽曲で過ごしたわけですが。

それが、いま、彼女も僕も子育てをしていて、子育て、という出来事を通して、いまの社会を捉え、同じような悲喜こもごもを感じ、同じような社会課題を感じているのだ、という事実。それを感じさせたのが、少し前にあったNews ZEROの彼女のコメントだったのですね。

日本は、子育てがしにくいのか

そんな彼女のコメントがこちら。

イギリス・ロンドンで子育て中だが、東京は「子育てしにくそう」と感じるそうで、  「外で赤ちゃんが泣いてたら、すごく嫌な顔される」  「ベビーカー持って外に行って乗り物とかに乗ると、周りがまったく協力してくれない上に『なんだよ、こんな時間に』みたいな視線を投げかけられたり、嫌なこと言われる」  など、東京で子育て中の友人から聞いたエピソードを語ったのだ。  それが宇多田には信じ難いようで......  「赤ちゃんが生まれて国が成り立っていくのに」  「将来自分の年金を払う人になってくれるのに」  「なんで、ちょっと泣いてるぐらいで嫌な気持ちになるんだろうとか、すごく不思議です」  

彼女のこのコメントは、!!!、なわけです。なぜ、子供と一緒にごく普通の日常を過ごしていると、嫌な顔をされるのか。なんとなく違和感を感じていて、なんとなく仕方のない当たり前と思っていた自分であり、これに共感する沢山のお父さんお母さん。それが、このちょっとしたニュースの取り巻く状況なのかな、と思います。

子供と一緒に過ごす日常生活に対して、冷たい視線を投げかけられるという環境。なぜ、電車に乗って嫌な顔をされるのか。なぜ、子供と一緒に入れないお店があるのか。なぜ、赤ちゃんがいますマークをカバンにつけていると苛立たれるのか。意味不明なコトだらけです。

冷静に考えると、不思議でならない環境。それが、いまの日本にあるわけです。そんな当たり前になってしまった不都合に気づかせてくれたのが、先の宇多田ヒカルのコメントなんだな、と。そう思ったわけです。

なぜ、子育てしにくい日本になってしまったのか

しかし、いつから、日本は子育てをしにくくなったのか。思えば、戦後の高度成長期には、隣の子も自分の子のように、余計なお世話をしまくって、どこまでが自分の家で、どこまでが隣の家だったのか、すらもわからない環境だったのではないか。映画「三丁目の夕日」の時代では。

それが、いつの間にか、宇多田ヒカルの言う環境へと変わっている。出生率が低下し、子供を産み、育てるようになったタイミングとその環境変化はシンクロしているのだろう、と推察されるが、では、なぜ、そんな転換が起きたのか。

これは、結構難しい問題であり興味深い問題でもあるかな、と思います。いつの間にか、子供と一緒にいる何かよりも、自分だけの何かの方が大事になっている。そんな比較すら昔はなかったのに、比較する時代になってしまっている。意識的か無意識的か、はあれど。

ここでは、そんな子育て環境についても、ちょこちょこ考えていきたいと思います。見て頂ける人数が結構増えたら、考えるだけではなく、解決方法も提言し、実践できたら、よいなー、とか思います。みなさん、引き続き、よろしくお願いしますmm

 

子供のクリエイティビティを刺激し続ける本

はじめに

「りんごかもしれない」という本のご紹介なのですが、この本はスゴイです。絵本としてちゃんと成立しているのですが、絵本という範疇を超えて、大人も確実に楽しめる本になってます。腹を抱えて笑えつつ、途中からは本の内容に感心せざるを得なくなり、最終的には、なぜか安心しました。だまされたと思って、手に取って欲しいと思います。 

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クリエイティブシンキングによって書かれた絵本?!

クリエイティブシンキングて、思考の方法論みたいなのがありますよね。人間て、ある程度の学習や経験を積んでいくと、パターン認識が蓄積されてくるので、例えば、りんご、を見ると、りんごがある、と認識して終わり。または、りんごの中でも、赤さの違いに気づいたり、大きさなり、元々あるりんごのパターンから、色々な分析はしたりすると思います。所謂、Apple to Appleの分析てヤツです。

この考え方って、論理的に物事を積み上げていく、という文脈では、とても有効なのですが、りんご、から何か新しい物事を考えたり、生み出したりするという文脈では、有効ではないアプローチだと思うのですね。りんごの派生は得られますが、りんごではない何かは生まれません。

他にはない新しい何かを考えたい時、所謂クリエイティブシンキングが必要になってくるのですが、クリエイティブシンキングて何?と考えたとき、端的に書いてみると、ある物事に対して、ゼロベースで多面的に見て、新しい何かを発想すること、と言えると思います。

クリエイティブシンキングについては、色々な本が出ていて、読んだのですが、今までの常識とかを取っ払って、頭を柔らかくして、自由に発想するわけなのですが、定石の様なアプローチが幾つかあって、この本では、そのクリエイティブシンキングのアプローチもかなり適用されています。ネタばれすると面白くないので、これ以上書けないのですが。

そういう意味で、子供がこの本を読むのはとても良いことだと思います。りんごがりんごであるだけでなく、他の何かを考えるきっかけになること。自由に考えて良いことを許容される経験になると思うのです。

    

芸術とクリエイティブシンキングと絵本

そんなことを考えていたら、この本を書いている人って、誰?と気になりだしました。

  • ヨシタケシンスケさん
  • 1973年神奈川県生まれ
  • 筑波大学大学院芸術研究科総合造形コース修了
  • 日常のさりげないひとコマを独特の角度で切り取ったスケッチ集や、児童書の挿絵、装画、広告美術など、多岐にわたり作品を発表

あまり情報がなりませんでした(汗。でも、筑波大学の大学院までいって、芸術の総合造形コースを修了というのは、納得ですね。クリエイティブシンキングて、クリエイティブと付いているだけあって、物事を色々な切り口で切り取って、形にする芸術家の方々の思考パターンに近しいと思うからです。ふむふむ、といった印象でした。

おわりに

ということで、色々書きましたが、冒頭にも書いた通り、素で読んでも、腹を抱えて笑える、面白い本です。絵もゆるくて、かわいくて、いやされます。子供も親も楽しめる本。ちなみに、2013年のMOE絵本屋さん大賞も受賞されてます。是非子供と一緒に楽しんでください!

小さな子供との外出時の必携アイテム

最初に答えからですが、CARRY FREE、てアイテムです。

残念ながら、一人目の子供の時は知らなかったのですが、二人目の子供の頃に知って、必携化しています。特に、外食する時にはマストアイテムでございます。

  • 0-1歳の子供は動いてしかたない。外食している時にも。そんな課題感が起点
  • そんな外食時にCARRY FREEを利用すると、子供を自分の腰などに固定し、子供の可動範囲を限定
  • こちらの手は自由になり、自分の食事も、子供の食事も、楽に対応可能に

といった感じでございます。

上述の写真を見てみると、結構素朴なアイテムに見えるし、上述の文章を読んでみても、結構素朴なアイテムに読める笑。

でも、食事の機会、外食の機会は結構多いわけで。その機会のたびに、てんやわんやをするのか、いやいや、CARRY FREEあるし、と落ち着いた対応をするのかの違いは結構あるのでは、と思います。まさに天国と地獄を分けるアイテムなのかな、と。

仮に試算すると、平日は毎週1回ママともと外食、週末は2週間に1回家族で外食するとすると年に75回外食。最低でも2年間がCARRY FREE期間だとすると、150回。うむ、多いのか少ないのかは、あなた次第。でも、ちょっと想像すると、外食時のてんやわんやな時間、負担は少なくないはずです。

ぜひご活用くださいー。