たけしの華麗なる消費生活

消費したモノ・コトについて、書いています。

齋藤孝の「疲れない身体」のつくり方

30代も後半になっているので、身体に関する興味がとても上がっている。あと、20代の頃以上に、生産性に関する興味が上がっている。出来る限りROIを高めたいという力学がとても働いている。それは、生産性を高める、市場価値を高める、という考え方も勿論あるのですが、代えがたい人生や時間をいかに有意義に過ごすか、という考え方に依拠しているのかな、と思う。

そんな中、それ関連の本をちらほら読むのですが、今回は明治大学教授の斎藤孝さんの『「疲れない身体」をつくる本』。よくテレビに出ている方なのですが、もう57才なのですね。テレビで拝見するに、とても若々しいのですが、そんな若々しさの理由のいくつかがこの本にある、ともいえるかもしれません。

僕にひっかかった部分を箇条書きで引用すると、こんな感じ。

  1. 肩甲骨をほぐすと、疲れた身体と心がちょっと回復する
  2. 力を入れなくて済むところは徹底的に抜く
  3. 限界を突破するような反復を積むと、人は力の抜き方を覚える
  4. 本を多く読むことで集中力や持続力が身につき、疲れにくい脳をつくる
  5. 淡交、適度な距離感を保って人付き合いをする

概念もあれば、具体的な方法論もありますが、一つ一つ簡単に触れたいと思います。

1. 肩甲骨をほぐすと、疲れた身体と心がちょっと回復する

これは、そのまま、という感じですが、そもそも肩甲骨をほぐす、という行動が身体の回復につながるという話。ストレッチの中で、肩甲骨をほぐすアイテムがあると思いますが、肩甲骨をほぐす機会を定期的な形で日常に組み込む、ことが大事なのかもしれませんね。個人的には、肩甲骨だけでなく、全体的にストレッチをすることが大事だと思っています。

2. 力を入れなくて済むところは徹底的に抜く

彼の場合は、かなり極端で、歩いているときとか立っているときに、身体の使い方として、力を抜く、という話が書かれています。自分を振り返ってみると、力を入れる必要がない時も、なんだかムダに力をいれているときが結構あるように思います。

でも、気が張っているときは、力は入ってしまうのですよね。この身体的なコントロールはとても難しいわけですが、何かをピンポイントで検討してみることが結構大事かな、と思います。

3. 限界を突破するような反復を積むと人は力の抜き方を覚える

この概念は面白いですよね。よく、量をこなすと質に転嫁するとか言いますけど、質って何かというと、ムダなことはしないで、より大事なことにフォーカスした行動をするようになることを言うのかな、とか思います。

新しいことをすることは難しいこと、なわけですが、その新しいことも何度もしているうちに新しいことではなくなり、その過程で、大事なことと大事でないことの層別がなされ、大事でないことについては、力が抜かれ、ということになるのかな、とプロセス的には思います。

そういう意味で、新しい仕事であり、新しい人にあった時には、早いところ量をこなすこと、反復をすることが大事なのかな、と思います。なんとなく思っていたことなのですが、明確が概念で表現していて、とても刺さった部分だったりします。

4. 本を多く読むことで集中力や持続力が身につき、疲れにくい脳をつくる

これは、3に近いのですが、少し異なります。運動をすると、筋肉が超回復を起こし、事前よりも事後の方が疲れ抜き筋肉、より力強い筋肉になる、みたいな話があると思うのですが、脳も同じで、本を沢山読むことによる負荷が増すことで疲れにくい脳をつくる、ということが書かれています。

結構大事な考え方であり、意識的に取り組むべきだな、と個人的には思います。勉強も仕事も、沢山の教材を読んだり、資料を読んだり、という局面があるわけですが、少しやっただけで疲れてしまう人と、疲れない人とでは、キャッチアップのスピードも、厳しい環境でのパフォーマンスの程度も異なるわけで、成功や成長の分岐となってしまいます。

だから、小さいころから、たくさんの本を読むであるとか、時間があるときに、本を読むということが結構大事だったりするのかな、と思うのですが、疲れない脳をつくる、という概念があると、より本を読むインセンティブになるのかな、と思いました。

5. 淡交、適度な距離感を保って人付き合いをする

少し前からか、個人的に意識している部分だったりします。距離が近すぎると、なんだか相手の一つ一つが気になってしまうもの。でも、その多くは気にしても仕方ないことだったりするわけです。でも、あまり距離を置きすぎると、どうでもよい存在になってしまい、何かのバリューが生まれる余地はなくなる。

ということで、程よい距離感というのが結構大事だな、と思うのです。バリューの概念もあれば、ROIの概念でも、それが望ましいと思うのですよね。沢山の時間やお金を投下したとしても、パフォーマンスやバリューはそこまで増えないよ、ということです。

とはいえ、別に飲みに行くときは飲みに行けばよいわけで。そのようなアクションも含めた上での適度な距離感、というのが結構大事かな、と思ったりするわけです。

おわりに

齋藤孝さんによるお話でした。共通性の高い内容は多いわけですが、根本的には、自分が疲れないためには、何をすれば良いのか、疲れない且つパフォーマンスを高くするためにはどうすれば良いか、というのを自問自答することで、自分の身体の性質と向き合い、日々改善することが必要なのかな、と思ったりします。人生は長いので、日々改善することで、より良い日々を過ごせるように図っていきたいな、と思います。

「企画」に必要な二つの能力

同い年のヒット量産の映画プロデューサー

少し前に、映画プロデューサーの川村元気を知った。最近では、「君の名は」を大ヒットさせているのだけど、この10年くらいで話題になった映画をかなり世に送り出している。電車男、デトロイト・メタル・シティ、告白、悪人、モテキ、宇宙兄弟、聖☆おにいさん、寄生獣、バクマン。怒り・・・。

さぞ、重鎮なのだろうと思っていたら、同じ年だった。なるほど、と。

超企画会議と自分の仕事から導いた、企画に必要な二つの能力

ということで、読んでみたのが、彼の「超企画会議」という本。彼がプロデューサをした作品について、ハリウッドの著名な映画監督やプロデューサと企画会議をするという妄想の短編集になっていて、彼の企画の詳細の一端を垣間見ることができる。

これを読みつつ、そして、日々企画をしていて思うのだけど、企画に大事なのって、二つの能力なのかなって思う。

 

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この本は映画の話なので、映画のテーマがあって、ゼロベースであるべき映画の完成形を想像する。この時は、ゼロベースでなんでもありでアイデアを沢山上げていく。その上で、アイデアとアイデアの間の関係性やリスクや制約条件を論理的に整理していく。一方で、本当にユーザーに刺さるか、という観点で、さらに想像して、アイデアを絞りだして、映画のクオリティを高めていく。というのをあきらめずにぎりぎりまでやっていく、ということだと思った。

で、ビジネスでも、同じだな、と思った。本当の最初は、想像力を見いっぱい働かせて、ビジネスのビジョンを描くが、そこからのアプローチは結構論理的に掘り下げ積みあげていくことになる。でも、その論理アプローチが一定量行われると、その先にいるお客様が本当に使うのか、デリバリー体制が本当に成り立つのか、みたいな想像力を働かせて、新しい論点や課題を見つけ、その解決を論理的に取り組む。というのを繰り返すことで、ビジネスをリジッドにしていく。

性質の異なる企画を比べながら、その共通性をふんわり思ったのでした。

飲み会と勉強会を分ける要素

業界が変わると業務も変わる

少し前に、新卒同期と飲んでいたのですが、新卒同期は活きが良く活躍していて、仕事の話をしても熱く盛り上がることが多い。起業した人のスペシャルな話を掘り下げて聞くのも面白いのだけど、何気ない業務の詳細を掘り下げて話を聞くのも結構面白い。

そこで思ったのだけど、業界や会社が変わると、当たり前だけど仕事や業務も変わる。これは何を言っているかというと、会社や事業を成立させるために、業務や機能があり、組織があるわけだけど、業界が変わると、大事な業務や機能が大きく変わる、ということ。

例えば、メーカーだと、在庫の概念がかなりのポジションを占めて、在庫次第で利益は大きく増減することになる。としたときに、事業管理の部署は機能特化が進み、入社以来ずっと事業管理をしている人もいたりする。そこで本当にスペシャルな進化が起きているかどうかは別なのだが、投下している時間はやはり多いので、事業管理としてのそもそものスコープや組織や会議体の仕組み等の成熟度は高くて、参考になる部分は多い。

良い飲み会は勉強会になる

そんな風に、一見ただ酒を飲んでわいわい騒ぐっていう飲み会もあるのだけど、話の流れで、興味が湧いたトピックについては、一気に解像度を上げてその詳細について議論とかすると、ただの飲み会がちょっとした勉強会になって、自分の仕事や組織のアジェンダになってりっていうのもあるよね、っていうのを客観的に思いました。まあ、一緒に飲む人がそこそこ優秀でないと、解像度が上がらないので、学びもないので、一緒に飲む人が大事。

あと、そもそも解像度を上げることができるか、があるのだけど、まず、自分の業務や機能について、ちゃんと解像度を高く理解できているということが、他の業界や会社の当該の業務や機能に関する感度を高くするのではないか、と思う。違いに気づけないと学びはないのだけど、違いは、ざっくり議論していても見つからず、解像度を高く議論しないと見つからないのだけど、ベースは自分の会社の業務や機能に関する解像度の高い理解であり、他の業界や会社についても質問もできないし、理解もできないよ、ということ。

ということで、自分がなんとなくではなく解像度高く仕事をしていて、飲み会の相手が優秀だったりすると、飲み会は勉強会にもなる。ふと、そんな要素を考えたのでした。