たけしの華麗なる消費生活

消費したモノ・コトについて、書いています。

時間密度と、感性のネット (「川本裕子の時間管理革命 」川本裕子)

更新頻度を上げいこう!と書きつつ、あまり上がらないケースがあるわけですが、何かに追われている風味だと、どうも感性のネットに、何か新しいモノやコトがひっかからなかったりするのですよね。だから、書評とかになってしまうわけです。

だから、とか書きながら、本を買いすぎて、読むことに追われている感がありますな(汗。ここで紹介しているのは、息抜き的なポップな本が多いわけですが。今も読もうと思いつつ、10冊くらい溜まってて、読む速度よりも買う速度の方が明らかに速いですな。そりゃ買うのは瞬間しかかからないわけですが、まあ、本は気になった時点で買った方が良いわけで、それ自体は良いことですね。

要は、広義で読む速度を上げることと、感性のネットを拡げることが必要ですね。

広義で読む速度を上げる、ことについては触れないでおきますが、感性のネットを拡げること、として少し思うのは、時間の使い方には割り切り、が必要だよね、ということです。昔もそうは思っていたのですが、最近つとに思います。何かについて深く深く深く考えることは大事なのですが、それだけ、をずっとするわけにもいかないのですよね。大事なテーマが幾つも走っているわけで、一つだけにとらわれてしまうと、他がかなり厳しいことになる。

だから、敢えて、時間の制約をもうけて、集中の密度を上げることが大事だと思うわけです。結構当たり前のことを書いている感じですが、ここは、実は、行ったり来たりしています。例えば、とある時間帯の1時間で、何かのアウトプットを作成する、とするわけですが、昔は、その1時間でさくっと終わらせることを考えていました。タスクのゴールにミートする上で、シンプルにアウトプットを作成していたように思うのです。所謂効率的なアウトプット量産期間てヤツです。

その後、深く考えることを大事にするとか、考えることをとにかく考えるような期間が到来します。そうすると、時間はいくらあっても足りない。色々な目線で、深く深く考えていく。同じ山でも、色々な出発点から、色々な経路で上る、という作業を延々とやるイメージでしょうか。山だとしたら、出発点だけでも、360度あるわけですから、そりゃ時間がいくらあっても足りないくらいあるわけですね。それに近い感覚。勿論、仮説思考は担保させるわけですが、で?で?で?と、so what?然り、so how?とどんどん考えていくと、考えることは尽きないわけです。

で、最近思うのは、そういった尽きることのない思考期間をぎゅぎゅっと詰める、ということですね。1時間の間にどこまで密度高く考えきれるか、ということです。で、その1時間を過ぎたら、そのことについては、考えないで、次のテーマについて、考える、ということです。そのメリハリが大事かな、と。ちなみに、大事なテーマについては、何度かそんな時間帯をもうけるようにしたりしています。

と、えいっ、って一気に書いてみたら、この本に通じるかな、と思い出しました。みなさんも、よかったら、どうぞ。 

と、書いていて、感性のネットを拡げる、ことについて、完全に忘れ去られました(汗。要は、そうやって、集中の密度をあげること、逆に言えば、感性のネットを拡げられる様な時間をブロックして、タスク各種については、集中の密度を上げる様な状況にすることが良いのかな、とか思ったりしています。