30代で、ブランドは卒業
今回はミニマリストネタにしようと思います。衝撃的なタイトルにしてみました。と言うほど、そうでもないかな笑。
消費目線でのブランドの立ち位置
多くの場合、機能による便益と価格は相関します。便益が高いと価格は高くなるし、逆に、便益が低いと価格は低いです。安かろう悪かろうな商品もあれば、価格の高さに納得の便益の高さが合ったりします。
セブンイレブンやユニクロは、これらの相関に挑戦してきました。便益が比較的高いですが、価格は比較的安いゾーンを狙っています。通常の相関とは異なる、お得な商品になるので、カスタマーからの支持は相当なモノになり、非常に成長してきました。
これらと異なる立ち位置をしているのが、ファッションにおけるルイヴィトンやシャネルなどのハイブランドの商品です。例えばルイヴィトンでは、熟練の職人による品質の高い商品を創っていますが、その価格を合理的に説明できるには至りません。ルイヴィトンというブランドが価格を正当化しています。
ブランド、とは広い意味を内合しますが、シンプルに消費者目線で考えると、論理的な判断では説明できないが欲しいと思わせる力、と言えるかも知れません(勿論、色々な説明ができます)。
スターバックスのロゴが入っているカップを持っていると、リラックスできると感じる(でも、類似商品よりは格段に高い)。ルイヴィトンのカバンを持っている自分が好き(でも、類似商品よりも格段に高い)。メルセデスベンツで信号待ちしたい(でも、類似商品よりも格段に高い)。
類似商品よりも格段に高く、論理的にその商品を持つ理由がない、でもその商品を買ってしまう。そうさせる力が、ブランド力と言えるのかも知れないな、と思います。そして、そのブランド力を後ろから支えているのが、他商品との比較、もしくは、他商品を持つ”人”との比較です。
人と比較しなければ、ブランドは関係なくなる
油断をすると、僕たちは、誰かと何かを比較してしまいます。10代の頃は、スポーツや勉強、20代の頃は、会社や給料やファッション、30代や40代以降は、車や家や資産でしょうか。
色々な人と比較しやすい何かで、誰かと比較してします。SNSは、しなくても良い比較をさらに推し進めるコミュニケーションツールと捉えることができるかも知れません。そして、比較できる何かのカテゴリで、ブランドが生まれています。
スポーツや勉強のブランド校、企業ブランド、ファッションブランド、会社を含むブランドや、住む地域のブランド、などなど。所謂ハイブランドと世の中で言われるモノやコトを保持していると、相対的なポジションを得られていると意識的か無意識的かどうかは別として感じている。
そのようにブランドを身につけることが幸せか?それを幸せだと思える人もいるのかも知れませんが、20代や30代で色々なブランドを消費してみて思うのは、ブランドを身につけていても、幸せにはなれない、という結論です。
誰かとの比較として自分やモノ・コトではなく、ただ単に、自分が欲しい、や、自分が身につけたい、自分が取組みたい、と思えるモノやコトに時間を使う、お金を使うことが幸せなのではないかと思ったのでした。そうすると、ミニマルになっていくとも言えると思います笑。
おわりに
言わずもがな、所謂ハイブランドで、本当に自分が欲しいと思えるならば、当然買えば良いと思います。僕の経験で言えば、40才くらいで、そんな基準ができたのかな、と思います。これが不惑の意味なのかも知れない(多分違う笑。