たけしの華麗なる消費生活

消費したモノ・コトについて、書いています。

在庫は家ではなく、お店に持って頂く時代

合理的なわたし

個人的に、合理的なので、色々決めておくことが多くて、決めておくことで、所謂ルーティーンに落とし、一定の高品質の下、かける時間は最小化し、他の時間をかけるべきことに時間をかける、みたいなオペレーションであり、時間の使い方の磨き込みみたいなのが好きだったりします。

モノを極力持たないわたし

で、少し前から、やっているのが、少しずれるかもしれませんが、モノを極力持たない。例えば、シャツなどは、XX枚持つ、と決める、とか。毎年、一枚とか二枚だけ買うとかに決める、みたいなことをしていて、家にあるシャツのストックについて、消耗具合の循環もある形で、一定の幅で保とうとしていたりします。

そして、在庫を持たないわたし

そんな中、例えば、ノートやペンなど、消耗品みたいなモノについては、結構ストックを持つようにしていました。セロハンテープとか、ね。その時に、考えていたのは、なくなると困るから。

でも、よく考えたら、あまり困らないことに気づきました。ノートが切れても、ほぼいつでも、どこでも買えることができる状況。オンラインの発展による安心感は勿論ありますが、例えば、家と会社の通勤の動線上でも、基本買い物ができる場所はあるので、平日などでは、移動時間に、在庫切れ対応ができるので、仮に在庫をストックしていないでも、困る時間はほんのわずか。

そのほんのわずかな時間で、何かの機会損失が多大に起きているのである、と考えるのはなかなか面倒な考え方だな、と思ったりしていて、最近は、そんなわずかな困った時間を許容するような考え方にしています。それとは違う、他のことができるよ、と。

在庫は、自分の家ではなくお店にある、という気づき

ということで、家には、さらに、モノがなくなってて、そして、思うのは、いつの間にか、何かの在庫を家の中ではなく、あたかも自分のモノをお店に置いているかのような感覚を持ったりしています。そして、これって、トヨタの在庫を持たない経営にも似ているのではないか、と。

トヨタは、その在庫を持たない経営を、本当に努力して実現してきたのだと思いますが、今の時代だと、誰しも、在庫を持たないで、ほとんど困らないで、毎日を生活できるようになっているのだなぁ、と思ったりします。いい時代になったな、と。

そんな風に、ふと思ったのでした。