伝えようとするプロセス、わかろうとするプロセスこそが、幸せな時間
糸井重里と芦田愛菜の「達人達」
前のエントリーで少し触れましたが、Eテレの「達人達」の糸井重里と芦田愛菜の対談は面白かったですね。
芦田愛菜は優秀で、糸井重里と会話がちゃんと成り立っていて、糸井重里も対談中にオブラートに包んで褒めている部分があるんだけど、きっとそれは言葉以上に芦田愛菜の優秀さに驚いていた。僕が見てても、中学二年生で、あそこまで、ちゃんと考えられて、言葉にできるのは、なかなかだなと思った。"Mother"というドラマは坂本裕二による有名な作品の一つだけど、その子役が芦田愛菜だったのか、と。今後の芦田愛菜に注目です。
僕が感動させられた、糸井重里のお話
と、芦田愛菜は良いのだけどw、糸井重里が主軸のチャプタでは、とてもはっとさせられた。というのが、今回のエントリー。
言わずもがな、糸井重里は、コピーライターの超売れっ子だったわけだけど、やはり偶然売れたわけではなくて、言葉をとてもうまく使う、というか、うまく捉えるというか、その言葉の力を知り尽くしている、そんな風に思った。
こちらは、対談の抜粋。
その抽象度は、じれったくて、嫌がるかもしれない
今の時代って、「もっと具体的に」と言われることがものすごく多い時代
「例えば、どういうことですか?」とか
わかるように話せ、と常にされるんだけど、
それを出しちゃうと終わる
終わっちゃう
本当に言いたいのは、伝えきれない気持ちの方を言いたい
「あぁ、伝わった」という喜び以上に言いたいのは、
「こんなにたくさんあって、伝えきれない」っていう話がしたいのに、
「わからせてください」って言われちゃうと、どうにもなんなくて
・・・
海を見たときに、「これが海ですよ」って
あまりにも簡単に言いたくないなと思ったときに、
言葉が生まれかけている
難しいって言ったときには、もう言葉が生まれかけている
これを見ていて、なんだか感動しちゃいました。いまの世の中のそこかしこで起きている会話をこのように捉えて、考えている人がいるのか、と。
伝えようとするプロセス、わかろうとするプロセスが、幸せな時間
正直、僕は、いま時の世の中のど真ん中の人。具体的にそして端的に言葉をキャッチして、具体的に端的に言葉を投げたい。そういうのが、優れたビジネスコミュニケーションとされる場合が多くて、そのようなビジネスコミュニケーションを、プライベートにも持ち出しちゃっている痛いヤツだと思う。
きっとそれは、何かのインプットを得て、何かのアウトプットをするという生産性を考えたときの、生産性が高いか?の問いには、正しい言葉の使い方なんだろうけど、それが、幸せなのか?人生を豊かにしているのか?という問いには、正しい言葉の使い方ではないのかもしれないな、と思った次第。
何かを伝えようとしているプロセスが幸せなのかもしれないし、それを聞いてわかろうとするプロセスが、幸せな時間なのかもしれない。
きっと、奥さんなのか恋人が長い話をして何かを伝えようとしているとき、そして、それを聞いて何を伝えようとしているのかを考えてわかろうとしているときこそが、とても幸せなのだろうな、と思った。
これは、いままで考えたこともなかった気づき。すごく感動したのでした。