たけしの華麗なる消費生活

消費したモノ・コトについて、書いています。

『「学力」の経済学』からの3つの教育のヒント

はじめに

子供の教育は悩みの種の人が多いだろう。生まれて直ぐはさすがにだが、1歳にでもなると教育を考え出すし、幼稚園や小学校の入学タイミングではその悩みはエスカレートし、教育や進学に関するエトセトラについてネットを叩いたり、誰かと話したりする人は少なくない。

そんな教育については、一億総評論家と言われるほど誰もかしこもが自分の意見を好き放題話をするよね、でも、その意見は何の論拠もないケースが多いよ、そうではなく科学的な根拠に基づいて打ち手を考え、意思決定をした方が良いよ、というのが教育経済学者の中室牧子さんによる『「学力」の経済学』のお話。

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本の中心は、先にも書いた通り、論拠がない意見ではなく、科学的根拠に基づく打ち手などの提案を含む意味合いの紹介なのだけど、結局は、「分析」の話に帰着する。要は、原因と結果の因果関係を、データを基に回帰分析等から導出することで、意味のある打ち手を得ることができるよ、ということ。

ビジネス的には、ファクトベースで分析をしてPDCAを回しているか、という基本かつ重要な行動なのですが、ビジネスの世界でもちゃんとできている人やケースは少ない。いわんや、教育領域については、そもそものデータが日本には不足しているがために、さらに深刻な状況ってことでした。ふむふむでした。

さて、読んでみて、面白かった3点をピックアップしてみます。

  1. インプットにご褒美を
  2. 友達から受ける影響
  3. 南アフリカにおける政府統計データのネット開示

一つずつ書いていきます。

1. インプットにご褒美を

そもそも、僕たちの世界のあれこれは、インプット-プロセス(狭義)-アウトプット、のプロセス(広義)で説明されることができる。例えば、食事では、食べ物をインプットに、消化や吸収というプロセスを行い、身体や排泄のアウトプットが得られるし、例えば、戦略立案では、データやインタビュー等の定量・定性情報をインプットに、分析や演繹の思考というプロセスを行い、事業戦略などのアウトプットを得ている。

同様に、教育では、読書や受講などのインプットを得て、情報処理のプロセスを経て、テストの点数などのアウトプットを得ている。この教育のプロセスがあったときに、子供の成績を上げるためには、何にご褒美を与えればよいか?という問いに対して、本では、「良い点数を取ったらご褒美を与える」と「読書をしたらご褒美を与える」の二社選択式で展開している。

前者がアウトプットに対するご褒美であり、後者がインプットに対するご褒美であり、問いの回答から先に書いてしまうと、後者のインプットに対するご褒美が正しい、ということが、科学的に証明されている。サザエさん等のテレビでは、良い点数を取ったらおやつをあげる、叱るみたいな件が多かったりするのだけど、それは誤り、ということ。

これは、結局、因果関係の要因の方に手を打つ、ご褒美を与えることで、要因部分を成立させ、結果に結び付けられるということを意味しているのだけど、周りを見渡してみると、結果について、ほめるなどのご褒美を与える家庭が多いのではないだろうか。でも、結果って、その結果に結び付く行動をした故のことであり、結果にフォーカスしてしまうと、その行動の必要性であり重要性を目立たなくしてしまうリスクがあるので、注意が必要なのかな、と思う。

少し脱線すると、野球選手でイチローという偉大な選手がいるが、彼は準備を非常に大事にする。ちゃんと準備ができていることが全てだという。そして、仮に試合で結果が出ていなくても、一喜一憂しない。これって、準備をすることがインプットであり、試合でヒットを打てることがアウトプットなんだけど、準備であるインプットを重視しているということを意味しているのですよね。だからこそ、長期間安定的に結果、世界新の安打数を出すに至っているのかな、と思う。

そういう意味で、ご褒美であり、重視すべきは、テストの結果ではなく、その前にあるインプットである良い学習行動にある、ということであり、そのような視点に基づくコミュニケーションをすることで、継続的な正しい学習行動に結び付くのかな、と思う。

2. 友達から受ける影響

成績の良い友達と一緒にいれば成績は上がり、成績の悪い友達と一緒にいれば成績が下がる、という傾向が科学的に立証されている、とのこと。結構これはスパイシーな話なのだけど、具体的に考えると結構当たり前だったりする。

例えば、とあるA君は、算数では、足し算、引き算、掛け算ができるレベル。でも、所属するクラスには、足し算すらできないコたちが沢山いた場合、足し算の授業に時間を割く。そうすると、A君にとってはわかりきっているので、時間の無駄であり、成長の機会は減少する。逆に、微分ができるコたちがたくさんいた場合、積分の授業に時間を割く。そうすると、A君にとってはちんぷんかんぷんなので、やはり時間の無駄であり、成長の機会は減少する。

成長は、エレベータ式ではなく階段式のシステムが必要、ということだろうか。一段ずつ階段を上る、つまり、一つずつ知識や理解を積み重ねることで、次の知識や理解が着実に積まれていく、ということ。そんなシンプルな構造を踏まえたクラスや授業のシステムになっていればいいのだけど、そのように都合がよくはできていない。日本の通常の学校では。

一方、学習塾などは所謂学習能力別で受講がされており、科学的に理にかなったシステムが導入されていているということになる、実は。また、アメリカなどでは飛び級があるので、アップサイドの学生にとっては、その実力に見合った授業を受けられるシステムになっていると言える。

本当に一人一人の教育観点での成長を促進するためには、一人一人の習熟レベルを各教科別に理解して、そのレベルに対する教育を提供するような仕組みが必要なのだろう。やはり、ある種進学塾は理にかなっているのだけど、Ed-Techのサービスが、学生のサービスからのリテンション率を高めるような仕組み(ネットサービスだけだとどうしてもひょっこり辞めてしまう人が多いのが現状)も備わると、よりあるべき教育システムになるのかもしれないな、と思った。

3. 南アフリカにおける政府統計データのネット開示

著者は世界銀行にも勤めていたとのことだが、その時に、南アフリカの人と話していたら、政府の統計データはネットに開示してしまうのだとか。ネットを介してデータを入手した人が利活用して得られた意味合いがFBされ、さらに検討が前に進む、という。でも、日本ではそのようなことはない、と。オープンソースだとか、オープンイノベーションの概念に入ると思うのだけど、日本でもそのようなデータは開示して、議論を発展させたら、と。一般に、情報を出さない人は、その情報により優位性を構築するとか、批判を受けることを避けたがる傾向があるように思う。日本のケースがどうなのかはわからないのですが。でも、やはり、情報というのはどんどん出した方がよいかな、と。

本では、日本の教育がエビデンスに基づいておらず、遅れている、という論調なわけだが、もし、本当にそうなら、どんどん出して頂いて、もっとより良い教育システムを創るためにはどうすればよいか?というマクロな議論もあれば、家の中での子供との教育に関する最適なコミュニケーションは何か?みたいなマクロな議論も進められれば良いな、と思う。日本に教育経済学者が何人いるか知らないし、科学的な根拠による教育に前向きな人がどれほどいるかもわからないけど、教育こそが国力を上げますし、教育こそが一人一人の毎日を豊かにするためのインプットだと思うので。

おわりに

色々書いていたら、結構長くなりました。でも、やっぱり教育って難しいですよね。学校などの仕組みまで考えるとさらに難しくなる。でも、議論を通じた仕組みで、ポジティブなことを増やし、ネガティブなことを減らすような取組みができたら、もっと日本てよくなるのだろうな、とちょっと妄想しました。

この本には一端が書かれている教育経済学のさらなる発展を切に願いますし、機会があれば、協力したいな、と思った次第でございます。

こちらの本、ご一読をおすすめします!