たけしの華麗なる消費生活

消費したモノ・コトについて、書いています。

どのような言葉をかけられたいか?

最近のNews Picsのイノベーターズライフ(日経「私の履歴書」のNP版)は、糸井重里なのですが、とても興味深いです。元々、結構好きでフラグを付けている人ですが、コピーライターとほぼ日の糸井重里しか知りませんでした。一つ一つの出来事について、自分なりに考える人、という印象を持っていたのですが、なぜ、そのような人になったのか、がわかる生い立ちに関する記述が書かれています。

その連載の中で、

ことばは、おそろしい

というのがありました。彼の実体験として、継母が実父に、糸井重里について話していたことを聞いてしまったがゆえの内容でした。彼のことばが継母を傷つけ、そして、その継母のことばも彼を傷つけた、といった内容なのですが、この体験が、コピーライターになった基点であることは言うまでもないでしょう。ことばの力で、人を動かすのがコピーライターの仕事ですが、彼は、ネガティブな影響を受けたことで、ことばの力を知ったわけです。

彼ほどに、ことばの力について、強く深く受け止めた人は少ないと思うのですが、少なからず、ことばの持つ、ネガティブな力もポジティブな力についても、どちらも感じたことのある人は多いのではないでしょうか。

僕たちは、誰かと何かの意思疎通をするときには、メールでも会話でも伝達手段は色々ありますが、結局、ことばを使っているのですよね。そのことばの使い方により、相手の受け取り方は変わり、受け取り方が変わると、感情も行動も、そして、結果も変わるわけです。糸井重里のように、仕事をも規定してしまう、ということがあり得るということです。

この人は、どのような言葉をかけられたいか?

これは、とある研修を受けていた時に、とあるExecutiveが言っていたこと、として紹介されたことばなのですが、僕にはとても刺さったことばでした。

一日に、色々な人と、色々な会話をしていて、色々なことばを使っています。仕事における論理的なことばも当然あるわけですが、論理的ではなく情理的なことばが使われるオケージョンもあったりします。そして、そのような情理的なことばが使われるときにこそ、相手の感情も行動も動かし、変えたりするのですが、そのときに、相手の目線、相手の状況、情況を想像し、他でもないその相手だからこそかけられたいことばは何か、を考えて、声をかけることができたかどうか。そういったことを考え、振り返り、考えることが大事ではないか、ということを糸井重里の先の内容を読んで、改めて思ったわけでした。