たけしの華麗なる消費生活

消費したモノ・コトについて、書いています。

世界は毎日優しくなる

ココ・シャネルの言葉にこんなのがある。

世界は毎日単純になっていく

毎日何かを学ぶことで、その人にとって世界は単純になっていく、と説明がされたりしている。色々な分野で世界は毎日進歩し、その複雑性は増していくようにも思えるが、その複雑性の影響力は、一人ひとりに対して、毎日レベルでは、そこまで大きくなく、その人が学ぶことで変わる世界、視界が単純になる速度の方が速い、のではないかとその意味合いを整理したりしている。

こんなことを書くのも、最近思うのは、本当に世界は毎日単純になっているように思えるからだ。毎日振り返りをしながら、自分の学びを整理したりしていると、周りの世界は若干単純になっていくし、その行動や環境の幅によっては、危険なほどに単純になってしまっているのかもしれない、などと考えたりする。

一方で、その学びによって、世界は優しくならないだろうか、と思う。主に、コミュニケーションの学び、誰かに伝え、誰かから伝えられる、そして、何かの行動をするし、してもらう。それがコミュニケーションだったとしたとき、これらを構成する一つ一つに難しさがあったりするのだけど、そこで得られる学びを生かして、コミュニケーションをしていると、相手の置かれている環境や思考、その場限りではなく中長期的な関係性も含めたコミュニケーションを志向しようとしたとき、結果的に人に優しくなっているのかな、とか思うわけです。

そんな風に考えていた時、結果として、人に優しくなる、ということではなく、そもそもの目的として、世界を優しくするために、コミュニケーションを学びたいと思うし、そのコミュニケーションのコンテンツを考える力を学びたいと思ったりするわけです。

世界は毎日優しくなる

最近ちょっと好きな概念です。