たけしの華麗なる消費生活

消費したモノ・コトについて、書いています。

幼稚園ネットワークの"Pay Forward"

最近、体力的には持て余していないのだけど(朝5時くらいから子供が騒いでて睡眠少なくなってんすよ)、精神的には持て余しまくっていて、今日はちょっと面白いヤツからちょっと面白い話を聞いたので、取り急ぎ、全然関係ないけど、ブログを書いてみた。

幼稚園ネットワークの "Pay Forward"

さて、僕は結構メモを書く方ですが、メモを整理していたら、少し前のメモが出てきて、結構良い事が書かれていたので、そこから考えたことを文章にしてみました。

幼稚園のネットワークの話なのですが、所謂、Pay Forward、のことが書かれています。Pay Forward、は少し前に映画でありましたが、自分が誰かから良い行為を受けたら、自分も誰かに良い行為をする、という好循環の意味です。僕は、この考え方が好きです。

幼稚園ネットワークは、ここでは、小さな子供達が中心となって成立する、子供と親のネットワークを意味していますが、メモのPay Forward、は、誰かの親が誰かの親にした良い行為がどんどん広がっていく様を表しています。

具体的には、とある同級生の母親が、幼稚園に通う子供の妹の洋服やツールを、私の内にくれた話です。借りた、わけではなく、頂きました。さわやかに。小さな子供の洋服やツールは、数ヶ月から長くても1年くらいしか利用しないので、経済合理性は基本低いわけで、頂く、のは少なからず助かるわけです。

さて、そうこうするうちに、うちの子供が少し大きくなりました。すると、もう使わなくなるツールがあったりするのですが、うちは、他の同級生の数か月違いの妹さんに、そのツールをあげたわけです。さわやかに。

これが、幼稚園ネットワークのPay Forward、ってやつです。その先も、誰かの妹さんのツールになっている、かどうかはわかりませんが、少なくとも、二つの家庭にポジティブな影響を及ぼした。これって、少し奇跡的なことだったりするかも、とか勝手に思うのですよね。

その奇跡的な出来事を引き起こしたのは、とある同級生の母親のさわやかな優しさだったりします。Pay Forward、には起源があるわけですが、その起源となる人って、とても偉大だよな、とも思ったりします。

ちなみに、その母親は、もともと教師の方でした。キャリアの意思決定だけでなく、日々の行為の意思決定が、一つのステキな思想というか原理に基づいているのかもしれないな、と想像したとき、ちょっぴり感動したりもしました。

Pay forward実体験からの"giver"目線の振り返り

全然関係ないですが、少し前にメルカリの売れ筋カテゴリの記事を読んでいたら、トップ5の一つが、子供服だそうです。上記にも書いた通り、一定期間で利用できなくなり、でも捨てるわけでもない状態であるモノは、フリマの商材に適していますよね。

ネットのフリマの経済的なプラットフォームにおける最適な価値交換により、捨てられるどころか、誰かが喜ぶ、のって良いことですよね。メルカリの企業紹介ページなんて見たことないけど、そういった理念が書かれているのかもしれませんね。

それも否定しないのですけど、この幼稚園ネットワークで生まれるPay Fowardの好循環ていいよな、とか思うのですよね。そして、そういった、Pay Forwardの好循環って、昭和だか大正時代の日本のそこかしこの町にあったリアルな光景だったのではないか、とか勝手に想像します。

そして、次に考えるのは、その好循環の起源の難しさについて、になるわけですが、先に出させていただいたような母親はこの日本に何人いるのだろうか、と。そして、そのループを自覚的に引き起こせないだろうか。とも思ったりして、USでちょっと騒がれている狭域型SNSのNext Doorをチェックしたりするけど。仕組みとしての好循環の設計とか、好意の行為のインセンティブ設計とかって、先の自発的な好意の好循環を実体験してみると、なんだか寒い思考だな、とかとも思ったりします。

そんな思考が一巡した後、結局、僕はどれだけgiverになれて、ボランティアなのかビジネスなのかわからないけど、好循環を引き起こせるのか、起こせたのか、といった、今日一日の振り返りに戻ったりするわけです。

つらつらといろいろ書いてしまいましたが、ブログてそんなもんだよね。それにしても、メモ一枚でいろいろ考えてしまうものだ。