たけしの華麗なる消費生活

消費したモノ・コトについて、書いています。

「超」断捨離(「笑っていいとも!」の堺雅人)

笑っていいとも!」に出ていた、堺雅人の「超」断捨離の話が面白かった。

  • 手紙も、貰い物も、台本も、直ぐに捨てる
  • 迷ったら保有ボックスみたいなスペースに入れる。そして、溜まったら捨てる
  • 写真等の思い出系のモノも捨てる。たまに、実家に近況報告で写真を送るくらい
  • ゴミ捨て等に利用するだろうスーパーの袋。大2個、小2個だけ残して後は捨てる
  • 輪ゴム等、何に使うかわからないモノは持たない
  • 好きな本も捨てる。迷ったら同様に一時的にとっておくけど、溜まったら捨てる
  • 歯ブラシの在庫は持たない。使っていた歯ブラシを捨てる日に、新しい歯ブラシを買う

非常に潔くて話を聞いてるだけでも、非常に気持ち良くなりました。そんな人だったんですね、堺雅人って。っていう驚きすら湧いた面白い話でした。

 

基本的に、合理的に生きたいタイプの私によっては、堺雅人は好きなタイプですね。佐藤可士和も同じタイプなのでしょうけど、堺雅人は、佐藤可士和よりも、もっとダイナミックなんじゃないかな、と思った。

 

どういう思想で、そのような習性を持っているのかまであまり踏み込めていなかったです、タモリさん。でも、思想の断片としては、ムダなモノは持っていたくない、ということがあるようです。使わないモノは持っていたくない。その考え方が根底にあるのかな、と。

 

勝手な推察として。とにかくムダが嫌いなのでしょうね。

 

人は、モノがあって目に入るだけで、何かを考えてしまうもの。モノがあるということは、何度も目に入る可能性があるということ、つまり何度もムダに思考を走らせる、もしくはムダに思考が走り始めて、ムダだと気づいて思考を止めようとする、というムダが発生する可能性があるということ。

 

加えて、モノがあるということは、空間を占めるということ。なぜ、何の役にも立たないだろうモノに空間を占拠されて、ただでさえ高い空間家賃代を払わないといけないのか。モノがあるということは、自分が享受する以上の家賃を払うことにも繋がるのかな、と。

 

そんなことを考えていると、ムダなモノは持っていたくなくなるでしょう。そんな気持ちわかります。私も、こんな感じで考えていたので。しかしながら、堺雅人の行動はダイナミックだなぁ、と。ムダの閾値が著しく低いのですよね、彼の場合。私の場合は、情緒的領域に属すモノに対しては結構閾値が高くなっている。例えば、昔使っていた財布とか洋服とか。

 

でも、ちょっと改めることが必要かな、と見ていて思いました。ということで、カバンとか捨てました。この連休に。恐らくというか、絶対使わないカバンを持っていたりするのですよね。使わないモノは持っている必要がないのですよ。使うモノだけを持つべきなのですよね。そんな考え方を再認識したわけです。