たけしの華麗なる消費生活

消費したモノ・コトについて、書いています。

ノート論 Ver.4

Ver.3からあまり時間が経っていないのですが、ノートとその使い方をアップデートしているので、書いておきたいと思います。

何のノートを使っているのか?

まずは結論ですが、こちらです。

  1. MUIJIのらくがく帳
  2. ダイソーのメモ帳
  3. Google Keepのボイスメモ

Ver. 3からの変化点は、1が拡張、2は維持、3は新規、になります。

何のメモをしているか?

MUJIのらくがく帳は、自分が座っている時のほとんどで、何でも書いています。「何でも」の具体的な中身はこちらです。

  • 何かのテーマ、論点について、考えて書く
  • 新しい何かを知る、理解するために、情報を書き出して、理解する
  • もやもやしている思考の断片を書き出し、可視化し、整理する
  • 思いついた問いや切り口をメモしておく(後に、仮説立てや調査をする)
  • とある時間帯に関するToDoを書く

一方、ダイソーのメモ帳とGoogle Keepで、何のメモをするか、というと、らくがき帳の一部になります。例えば、ダイソーのメモ帳は、

  • 思いついた問いや切り口をメモしておく
  • とある時間帯に関するToDoを書く

一方、Google Keepのボイスメモは、 

  • 思いついた問いや切り口をメモしておく

となり、いつメモを書くか?が、MUJIのらくがき帳と異なる点です。

いつ、メモをするか?

ダイソーのメモ帳は、MUJIのらくがき帳を持っていない/持ちたくない時に利用します。主に大きな鞄を持って行きたくない時に、ジャケットのポケットや小さな鞄に忍びこませたりしています。また、公の場でMUJIのらくがく帳を利用することが微妙な場合があり、その時は、こちらを使ってます。

Google Keepは、主に歩いている時です。歩いている時は、紙にメモをすることは難しいので、電話をしているような素振りで自然な雰囲気でボイスメモに、主に「問い」を入れます。Google Keepは自動で文字起こしをして可視化できるので、後で確認するときに便利です。普通のボイスメモも使ったりしていましたが、全て聞かないと何を考えたかがわからないのは不便なわけです。

ベネフィットとして、何が変わったか?

まず、Google Keepでは、頭に思い浮かぶ「問い」を活かせる率が上がりました。仕事でもプライベートでも良いですが、生活をより良くするためには「問い」を立て、その答えを考え、実行することが重要です。ただの知識の拡充に留まることもありますが、それでも目の前の景色を捉える能力はあがるので、馬鹿にできません。勿論、何かのキーとなる問いになることもあるわけで、これをどんどんメモに留めておくことにはとても価値があると思います。問いがないと、何について考えるのか?という話なので、考えることが難しくなってしまうので。普段何かの疑問や論点を頭によぎっていますが、忘れ去られていることが多いです。それを避けることに大いに役立ちます。

また、MUJIのらくがき帳を拡張したことによる効果が大きいです。元々は、KOKUYOのSoft Ringと併用だったのを一本化したのですが、これにより、

  • すぐに、どんどん、書く

ようになり、書く機会、書く量が圧倒的に増えました。

違いのひとつは使いやすさ。KOKUYOのSoft Ringは、波線でビリビリ破くわけですが、波線に沿って破るのが気を使う、破った後に残る紙が邪魔でストレスだったので、わざわざハサミで切ったりして面倒でしたが、MUJIのらくがき帳はただ破るだけですので、楽です。

もう一つの違いは価格。MUJIのらくがく帳は、80枚で90円なので、1枚1円とちょっと。KOKUYOのRing Noteは、80枚で343円(Amazonでさっき調べた価格)なので、3倍以上です。MUJIのらくがき帳は缶コーヒー1本の値段もしないのは実に安い。ここまで安いと、こんなことは紙に書かなくても良いか・・・、という無意識の「書かないで良いバイアス」が全く起きなくなります。まず、書けばいいではないか、となり、書くことのハードルが圧倒的に低くなります。これが実に大きい変化だと思います。

紙とペンだけで、色々なことが考えられ、それが何かの形になっていく。新しい価値創出のタネは、紙とペンから生まれる。そう考えると、MUJIのらくがき帳を使うことのレバレッジの高さといったら、ダントツだと思います。そういえば、佐藤オオキさんも、らくがき帳をずっと使っているようですね。同じ思考プロセスかわかりませんが。何にせよ、実におすすめのアイテムです。

www.elle.com

おわりに

ということで、ノート論 Ver.4でした。シンプルなツールですが、種類は色々あるし、使い手の我々も工夫の仕方に幅があるので、また変わっていくのかもしれません。引き続き、ノートに何かを書きながら、ノート論も工夫し続けていきたいと思います。

テレビカンファレンス時代のエグゼクティブのお作法

仰々しいタイトルにしてみました笑。新型コロナがこれほど大きくなるとは1月時点では全く想像つかなかった。僕はテレビもネットもニュースは見ないので、コロナの言葉すら知らないで過ごしていたのですが、日常生活、経済活動への影響は実に多大です。株式市場の下落は半端なく、もはや株式トレンドは見ないことにしましたが笑(懸命な会社に投資していたら、時間が解決するでしょう)、そんな株式市場でスパイクした企業として、見逃すことができない企業が、zoomです。

少し前に上場したテレビカンファレンス企業で、そのUXの良さから株式市場で好感されていたわけですが、コロナ影響で在宅勤務が推奨されている世の中で、コロナ前後で株価は二倍になってます。最近zoomを使い出した企業や人も多いのではないでしょうか。ネットプロダクトなので勿論ターゲットは世界。コロナは時間差で地理的な影響を及ぼしていっているので、利用者のエリア拡大は国家や企業の打ち出した制約条件下で進み、更に株価は上がるかもしれませんね。成長の先食いと見ることもできるかもしれませんが。

僕もご多分に漏れず、在宅ワークをしています。元々超合理主義なので、在宅ワークは好感しています。会議は勿論あるので、テレカンサービスを使いますが。テレカンを使うと、会議と会議の間の会議室移動がゼロナイズされ、油断するとずっと仕事をし続けられてしまいます。在宅なので会社への移動もなくなり、会議間の移動もなくなると、非コア時間は減少し、価値を創出するための時間は格段に増えます。このような仕事の仕方の変化を生かすか生かさないかは、個人としても企業としても大きな機会であり、脅威になり得ます。また、平日、オフィスのあるエリアに人が集まっていた今までに対して、住居のあるエリアに人が分散している今やこれからを考えると、新しいサービスも出来ていくだろう、と見立てています。

とそんな中、約1週間ぶりに会社に行きました。なぜ、会社に行ったのか?非常に偉い人たちとの会議で説明をしないといけなかったから、です。よく、管理職は早く会社を出よう、家に帰ろう。なぜなら、メンバーが早く帰れるように。みたいなのがあったりしますが。テレビカンファレンス時代では、エグゼクティブはまず在宅でテレカンに入ろう。なぜなら、みんな会社に来ちゃうから。っていうのがあるのかもしれないな、と思った次第です。一般化してみて、例えば、偉い人が3人集まる会議で、1人だけテレカンで家から会議に入って説明するって、無理ゲーだと思うのですよね。そのようなお作法も、今後磨かれていくのかなと思った今日この頃でした。

マルタンマルジェラの財布を買いました!

10年位前に香港でボッテガベネタの財布を買って、ずっと使っていたのですが、キャッシュレスの波にのまれ、飲み会の割り勘の時くらいしか財布使わないじゃん!って気づいて、メルカリで売ったのですが(なんと5000円くらいで。ハイブランドの価値・価格は底堅いですな)、数ヶ月も経たずに、財布を買ってしまいました。

それが、マルタンマルジェラ

ふと、なぜ、僕は、マルタンマルジェラの財布を買ったのだろうか?と考えたので、書き留めて置こうと思います。

  1. 大学時代に、オサレで小金持ちな友人がマルタンマルジェラの洋服をよく着ていて、その頃からの憧れだったから
  2. 服は消耗するので長持ちしないが、財布だと5−10年は使うので、経済合理性が高いから
  3. 正月休みだったので、なんとなく消費したかったから

幾つか理由が思いついたのですが、1、2も別におかしくはないのですが、そこまで面白い理由でもないので、3の理由について、もう少し考えたくなったので、考えてみました。これが、買うか・買わないかの境界にいた自分を「買う」に振らせた理由、きっかけ、なのではないか、と。

  • 世間は福袋だなんだと浮かれている
  • 正月なので時間があるので、無駄にあれこれ検索してしまっている
  • 時は正月休みの後半。しかし、僕は世の中の人があれこれ消費しているのに、まだ全然お金を使っていないではないか!よい、このくらいの価格帯の買い物ならば、別に良いだろう

といった感じで、最後の項ですね。世の中の雰囲気と自分とを比較して、自分の少々高い買い物を許したのではないか、と考えたわけです。年末年始は大きなお金が動いていますが、大きなお金を動かしていない人は、そのことに満足して終わることもあれば、んー、何かに使いたいなと思って結局何かを消費する、ということもあり、決して少なくない人数でいるのではないか、と思ったのが、この正月の振り返りでした。(正月の振り返り、おそっ)