たけしの華麗なる消費生活

消費したモノ・コトについて、書いています。

仕事における(三種の神器+1)の利用方法

仕事における(三種の神器+1)

最近、仕事の仕方をかなり変えています。その中で、ITデバイスはかなり大きな役割を果たすので、三種の神器+1、としてまとめておこうかなと思います。

バイスとしては、Mac Book Pro、iPad Pro(+smart keyboard)、iPhone、そして、Apple Pencilを使っている感じです。これにクラウドサービスを掛け算として使い込み、何を、どこで、何で、するか、についてデバイスを当てはめるわけですが、ポイントとなりそうな使い方を整理しておこうかな、と思います。

(3種の神器+1)の利用方法のポイント

  • 前提として、クラウドサービスに情報を格納(具体的なアプリはまたの機会に)

  • インプットは、基本iPad Proを利用(クラウドの格納情報か検索情報について)。視認性、操作性ともにPCやスマホよりも高く、短時間でインプットが可能

  • 電車移動中のインプットは空間に余裕がある場合はiPad Pro、ない場合はiPhone。歩いているとき(安全が前提)は、iPhoneを利用

  • 重たいアウトプットは、Mac Book Proで集中。インプットとアウトプットとを完全に分けて作業しているのですが、アウトプットの際には、Mac Book Proで。タイピングがかなり良いので、鬼のスピードで打ち込んでいく

  • 重ための会議は、Mac Book Proでリード。自らのプレゼンやエクセルも活用する可能性のある会議は、Mac Book Proでサクサク進めて、円滑に会議を進める

  • 軽めの会議では、iPad Proを携帯。会議は基本議論のためにあるので、iPad Proで情報を補足する程度で十分。隙間時間でのチャットやメールも無駄にはできないので、smartkeyboardでサクサク進めていく

  • セミナーなどのインプット系会議は、iPad ProにApple Pencilでメモ。メモは、手書きの方が、文字の羅列情報よりも情報量を多くできるのでベター。なので、Apple Pencilで記載

ちなみに、何かを考えるときは、紙とペンを使ってます。少し前は、Apple PencilとiPad Proを使ってたのですが、戻した感じです。この背景は、またの機会に書きたいと思います。

おわりに

かなり厳選したデバイスなのではないでしょうか。

やはりツール、デバイスは、人間の能力を拡張できるので、常に工夫して更新し続けていきたいところだと思うので、こちらも、磨き続けたいな、と思います。

 

ペン論 ver.2 (anything)

ペン論 ver.1

結構前にこちらを書きました。5年前ですね。

takeshikarei.hatenablog.com

この中では、

  • v-corn
  • kakuno

について、書きやすさ、に主にフォーカスして紹介しています。確かに、そうだな、ふむふむ、という内容です。

ペン論 ver.2

そして、5年経ってのペン論なのですが、ペンに関する考え方はこちら。

  • なんでも、いい

身も蓋もない感じになってしまいました(汗。確かに書きやすい方がいいのですが、その書きやすさの違いにより、何が変わるのか、というとそこまで変わらないのではないか、と思った次第です。

それよりも、書くこと、自体が重要である、という考え方。とにかく書けるような状況に身を置いておくことの方が大事で、家の中の机のそこかしこに、何かのペンが置いてあったり、カバンも、取り出しやすいところにペンが置いてあります。

それらは、もらったペン、とか、子供が買ったけど使わなくなっているペンだったりしています。何でもいい。書ければいい。ただ、ペンを買わないといけない、という状況になったときには、v-cornをまとめ買いすればいいとは思っています。

(参考1)隈研吾のペン論

別に参考にしたわけではないのですが、建築界の巨匠 隈研吾氏のペンに関する考え方は、僕が考えるのに近いです。引用しておきますね。

基本的に何も持ちません。ポケットにペンがあるくらいで。書きつける紙は、何処に行っても何かしらあります。ペンはホテルの部屋に置いてあるようなものを常に何本か持っています。いいペンだと、ペンの方に気が行ってしまうから、無くしても気にならない方がいい。空港のラウンジやホテルの客室から持ち帰ったペンが、インスピレーションの源となる常にポケットに何本か常備。書き付ける紙は、その都度現場で調達すればいい。時にレストランのメニューの裏に壮大なプロジェクトの発端が現れることも。あまり綺麗にせず、心地いいランダムネスを大切にしているというデスクまわりは、30年来その景色が変わっていない

 そして、こんなことも。

思ったら、書かないと

こちらに書きましたが、認識の世界から記号の世界にすることで、さらに思考が深まっていくと思うのですよね。

takeshikarei.hatenablog.com

隈研吾氏の記事はこちらから。

commons-web.jp

子どもには、どのような習い事をさせるべきか?

とても悩ましい、習い事事情

子どもが少し大きくなると、どのような習い事をさせるべきか、という論点に悩ましく思う人は多いのではないでしょうか。予算は限られているし、周りの知り合いが、あれやこれやと習い事をし始めると、色々と気になってしまいますよね。

僕の人生で、そろばんて触ったことないんだけど、●●君は週に三回もそろばんをやっているとかいう情報を聞くと、え、まぢで、週三回も?!と思うし、モンテッソーリ教育のところに行ってるコの話を聞けば、中学生にでもなれば、ほとんどの人が、結局モンテッソーリでなくなることがわかっていても、焦るものです。

必須な習い事の三カテゴリ

と、そんなことを色々と考えるのですが、少し引いて、どのような習い事をさせるべきか、を整理してみると、こんな感じ。

  1. 専門性がある
  2. チームプレイがある
  3. 習慣化につながる仕掛け

1は、習わないと習得することが難しい。親が教えられない。だから、その専門性のある人・組織に習いにいくしかない、という考え方。バレエ、サッカー、楽器、などがあてはまるかな、と。

2は、習い事をしないと、成立しえないこと。サッカーとかのチームスポーツがこちらに当てはまる。社会にでると、基本はチームプレイ。チームプレイがなくても成立することは多いとも思うが、小さいころから、そちらに絞るのは得策ではないだろう。

3は、その習い事にいかないでもできるのだけど、行くことで習慣化に結び付く、確実になる。これは、公文などの勉強系だろう。別に問題集があるのだけど、外部の人に解いた問題を定期的に提出する、という仕組みは重要だと思う。

おわりに

と、なんだかきれいにまとめた感がありますが、親側の予算や時間もあれば、子ども側のやる気や性格などの制約条件が多々ある中で、どのような習い事をさせるかは、やはり悩ましいですね。定期的に棚卸しながら、調整していくのが、現実的な運用かなとも思いました。何かのご参考になればと思います~